西洋的価値観の色眼鏡で、「イスラム国」の真実は見えない
ところで、もし仮に欧米や周辺アラブ諸国が「イスラム国」を滅ぼすことができず、これを国家として認めざるを得ない事態になり、さらに「イスラム国」が周辺アラブ諸国にまで大きく版図を拡大するようなことになったとしたら、石油資源を大きくこの地域に依存しているわが日本にも切迫した課題が突きつけられます。
アメリカは、すでにシェールガス開発などでエネルギー資源問題を解決可能にこぎつけつつあります。日本は事情がまったく異なるのですから、そのアメリカの政治的言い分などにそのままへいこら従っているわけにはいかないでしょう。少なくとも「イスラム国」との間に独自の外交関係を開く必要に迫られるわけです。また、原発の再稼働や新設の是非なども、この情勢との絡みで考えなくてはならないでしょう。
そういうことを将来の視野に入れておく必要がある、と私は言いたいのです。その意味でも日本のメディアのノーテンキぶりにはいら立ちを覚えます。
まとめましょう。冒頭に断わったように、これは断定ではなく私なりの推定です。
①「イスラム国」は単なる孤立したテロ組織ではない。
②「イスラム国」は戦争あるいは宗教革命を遂行しつつあるかなり強靭な集団である。
③この運動を、その残酷な面のみ抽出して、道徳的に非難することには意味がない。
④この運動は、西欧近代が作った国民国家モデルに抵抗し、できればそれを壊して宗教国家を樹立しようとしている。
⑤この運動には、欧米がこの地域に自分たちのモデルを押し付けてきた歴史から見て、それを跳ね返そうとするだけの必然性がある。
⑥この必然性は、覇権国家アメリカが後退局面に入ったことによって、一気に表面化した。
⑦したがっていまこの地域で起きていることは、ウクライナ危機と同様に、今後国際社会がますます無秩序に多極化していく傾向を象徴している。
「イスラム国」の戦闘員募集に積極的に応募していく多くの若者たちが、これらのことを明確に自覚しているかどうかはわかりません。しかしその個人心理としての動機がどうあれ、彼らの行動のうちに、ここに描かれたような世界史的な意味が込められていることは否定できないと思います。私たちはこの現象を、単に遠く離れた地域の局所的な紛争から飛んできた小さな火の粉と見ずに、これからの世界にどういう構えで向き合えばよいかという問いへの重大なヒントを提供するものとして見るべきでしょう。
コメント
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かなり納得しました。
触れられていない点について私なりの推定をさせて頂くと、イラク戦争のあとの米国企業の利権を巡る横暴な振る舞い、オスロ合意の後のイスラエルのパレスチナに対する振る舞い、これらがイスラム教徒の怒りに火をつけたのだと思えてなりません。
ナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」には、イラク戦争の後の米国企業のあまりのひどさが、痛烈に批判されています。せめてイラク戦争の事後処理に米国企業が割り込むことなく人道的に行われればここまでの事態にはならなかったのではないでしょうか。
イスラム国のことは詳しくない私ですが、非情に興味があります。