なぜ中東で戦争が起こるのか ー押し付けられる欧米の価値観ー

アメリカの気分で、善悪が決められてよいのか

 ところが冷戦構造の崩壊後、アメリカの一極集中が強まり、アメリカは「世界の警察官」として、この地域(および北アフリカ地域)が抱えている矛盾を解決しようと何度も介入を試みました。けれども、湾岸戦争が短期的な意味で一応の決着を見た以外には、ことごとく失敗しています。

 カダフィー亡き後のリビアは混乱を極めていますし、エジプトではムバラク独裁を斥けて擁立したはずのモルシー「民主主義」政権が短命に終わりました。オバマ大統領はイラク撤兵を進め、シリアの化学兵器問題を解決することができず、自ら「アメリカは世界の警察官ではない」と言明しました。最近では従順だったサウジアラビアまでもが国連の非常任理事国入りを拒否するなど、アメリカを見くびる行動に出ています。アメリカの覇権後退はだれの目にも明らかとなったのです。

 さてこうしてアメリカが後退して権力の空白が生じると、もともと歴史的な矛盾を多く抱えた中東地域はたちまち混乱のるつぼと化しました。現在、少なくともシリア、イラク、アフガニスタンは、中央政府の力が及ばず、ほとんど国家としての体をなしていないと言ってもよいでしょう。

「イスラム国」はこうして、勃興すべくして勃興してきた勢力なのだと思います。この勢力は、イスラム原理主義に基づき、中東に強大な宗教国家を樹立することを目指しています。その勢いはまさに破竹と呼ぶにふさわしく、9月現在、シリアとイラクそれぞれのほぼ半分の地域を「領土」として制圧するに至っています。これはほぼイギリス全土に匹敵するそうです。

 もちろん、いまのところ周辺のイスラム国家のすべてが宗派のいかんにかかわらず、この新興勢力を国として認めていません。しかし今後の情勢いかんによっては、この勢力が国家組織を整えつつ、周辺住民を吸収して、さらに領土を拡張しないとも限りません。現に服従する民に対しては手厚い保護も施しているそうですし、資金はけっこう潤沢で原油の生産も行えば銀行もあり、利があるとみれば「他国」との経済取引も怠っていないそうです。たとえばサウジアラビアは「イスラム国」と同じスンニ派ですから、国境を超えることに成功すれば、辺境地域での宗教的な抱き込みもそう難しくはないかもしれません。

 もし仮に周辺諸国がこの勢力をこぞって潰そうと考えたとします。そのためには少なくともスンニ派の一部とシーア派とが宗派争いを中断して世俗的に妥協すること、犬猿の仲である大国イランとサウジアラビアとが手を結ぶこと、トルコを積極的な行動に誘い出すこと、軍事作戦で合意に達すること、「イスラム国」とすでに経済的関係を結んでいる人々を「イスラム国」から切り離すこと、そうして、それぞれの国や国内の特定勢力に武器供与などの支援をしている有力国の間接的な敵対関係を調停すること、などを試みなくてはならないでしょう。なかなか難しいのではないでしょうか?

 アメリカが限定的な空爆しか行わず、地上戦に踏み切る気がないのもうなずけます。かつての覇権国としても、一つの勢力(たとえば反アサド)に加担すればせっかく好転しかけている他の勢力(たとえばイランやアサド政権)と再び敵対しなくてはならず、というわけで手を拱いてしまうわけでしょう。

中東の「俺たちのことを勝手に決めるな」と言う叫びを聴け

 さて「イスラム国」については、その残虐性のイメージがしきりと流されており、現に彼ら自ら処刑の光景を公開しているようです。欧米自由主義諸国や国連は、ほとんどそれに対する人道的な見地だけをよりどころに、この勢力をただの「テロ組織」と断定し、世界の賛同を得ようとしています。しかし、いま見てきたように、事はそう簡単ではないと思います。

 要は、この地域は現在、戦国時代なのです。戦国時代ならどの勢力も平気で残虐なことをやってきました、信長もずいぶん残虐なことをやったようですが、事後的にそれを非難する日本人はいませんね。ましてかつてのナチスドイツのみならず、つい先だってまで堂々と大量殺戮行為をやってきた連合国が、道徳的な意味で「イスラム国」の行為を非難する資格はないと言えましょう。

 けっしていいとは言いませんが、命がけの戦争なら、その戦闘局面では、相手を残酷な方法で殺したり、それを見せしめにしたりすることは当たり前のことです。新興勢力というものは、どの時代にも敵を倒すために残酷な振る舞いを辞さないというのは歴史が教えるところです。西欧の宗教戦争しかり、フランス革命しかり、アメリカのインディアン掃滅しかり、ロシア革命しかり、中国革命しかり。

「イスラム国」の運動の信念を支えているのは、おそらく、周りの雑多な世俗的干渉をできるだけ排除した純粋なイスラム教国を作ろうという強い意志でしょう。それは一種のユートピア主義だと思われますが、この意志が最も明確な標的とするのは、明らかに、キリスト教文明の所産である西洋近代です。ということは、具体的に欧米の国家モデルを敵として視野に入れるのは当然ということになります。

 ことにイスラム教徒にとって、「異教徒」たちが政教分離の原則のもとに、近代国民国家の枠組みを異文化圏に押し付けて引いた強引な国境線が、理不尽極まりないものとして感じられるのは、当然と言えるのではないでしょうか。この屈辱感が、彼らの集合的無意識のなかで継承されてこなかったはずはありません。

 富める国に対する怨嗟という経済的理由もあるでしょうが、それだけがこの動きの根拠ではない。キリスト教とイスラム教とはもともと兄弟ですが、この二つの間には昔から深い宗教的な近親憎悪がはたらいてきました。加えて「イスラム国」勃興に至るここ十数年ばかりのアラブ世界のいきさつの場合には、信仰を尊重しなくなったことによって近代化を果たした欧米諸国に対する強い不信感が根のところにあると考えられます。良し悪しは別として、この不信感は純粋です。それは彼らの信仰が不動だからです。

 したがって、欧米諸国(およびそれに追随してきた日本)が、普遍的なものとして打ち出してきた自由、人権、民主主義などの近代的価値観を彼らに強制しても、彼らはまったく受け付けないでしょう。近代国民国家の枠組みを壊すこと、それが彼らの戦闘目的の重要なポイントだからです。この現代においても、カリフのもとにぬかづく「宗教国家」は存立しうるのです。

→ 次ページ「西洋的価値観の色眼鏡で、「イスラム国」の真実は見えない」を読む

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西部邁

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コメント

    • ソクラテス太郎
    • 2014年 12月 11日

    かなり納得しました。
    触れられていない点について私なりの推定をさせて頂くと、イラク戦争のあとの米国企業の利権を巡る横暴な振る舞い、オスロ合意の後のイスラエルのパレスチナに対する振る舞い、これらがイスラム教徒の怒りに火をつけたのだと思えてなりません。
    ナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」には、イラク戦争の後の米国企業のあまりのひどさが、痛烈に批判されています。せめてイラク戦争の事後処理に米国企業が割り込むことなく人道的に行われればここまでの事態にはならなかったのではないでしょうか。
    イスラム国のことは詳しくない私ですが、非情に興味があります。

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