事実を眺めれば浮き彫りになる、メディアの怠慢
まず、この学生に限らず、他にも各国から戦闘員として参加している人が多数いる(一説に、5月末までに81か国から12000人、うち欧米諸国から3000人)わけですから、単に「自分の人生の将来への不安や不満」といった抽象的かつ消極的な動機に還元してわかった気になるわけにはいきません。そういう報道姿勢は、この動きが世界(史)的に何を意味しているのかという問いを隠蔽してしまいます。
聞くところによれば、外国からの「志願兵」の多くは目的意識がはっきりしていて戦闘技術にも長けており、「イスラム国」ではこれを歓迎して現地兵の5倍から10倍の給料を支払っているそうです。これはいわゆる「傭兵」のだらしなさとはわけが違うようです。 また、この報道姿勢は、荒っぽく言えば、日本のように平和を享受している世界から戦闘地域に進んで参加することを、単純に「悪」であるかのような印象を与えることに寄与します。そうしてそれは、「自由と民主主義」を普遍的価値として押し出す欧米系の近代主義的な把握の仕方を鵜呑みにしたところに成り立っているように思われます。言い換えると、そうした欧米的価値観が無条件に「善」であるという前提に立っているわけです。
私はけっして、「イスラム国」の味方をしようとか、これに参加する人たちの意志を擁護しようとかしているのではありません。話はまだそのような是非を判断するところまで行っていないのです。
メディアに何よりも要請されることは、世界の火薬庫であるこの危険で不安定な地域を中心に急激に勃発し、世界を巻き込んでいるこの現象が、いったい何を意味しているのかを分かりやすく国民に伝えることではないでしょうか。おそらくBBCやCNNほか欧米のメディアでは、連日この問題をめぐって詳しく報道され解説されていると思いますが、日本は何とも反応が鈍いですね。
湾岸戦争(1990年)の時には、日本のメディアもけっこう大騒ぎして(多国籍軍に日本政府がどう協力するかが絡んでいたというお家事情があったからですが)、毎日多くの軍事評論家が登場したものです。けれども今回は妙にひっそりして、「対岸の火事」を決め込んでいるようです。しかし私は、「イスラム国」問題は、湾岸戦争やアフガン戦争やイラク戦争に勝るとも劣らない重大な国際的意味を持っていると思います。もちろん後に述べるように、もしかしたら日本も早晩この国際的な意味に深くかかわらざるを得なくなるでしょう。
中東の紛争の背景をおさらい
よく知られているように、中東地域は、世界一の原油生産地域であり、イスラム教の異なる宗派が激しい争いを繰り広げている地域です。また終わりなきイスラエル―パレスチナ問題を抱えているし、クルド民族が独立を主張してもいます。そうしてこの地域は、利権を手にしたごく一部の富裕層を除き、全体としては経済的な意味での近代化を成し遂げることができず、貧困が覆いつくしていると言っても過言ではないでしょう。世界の有力国がいやがうえにも関心を集中させなくてはならない要因をいくつも抱え込んでいるわけです。
加えて、最も重要なのは、この地域およびアフリカ諸国の国家区分がキリスト教文化圏に属するヨーロッパ諸国によって恣意的に引かれたものであるという点です。
第一次大戦前後まで世界の覇権を握っていたのはイギリスですが、第二次大戦後はアメリカがそれを引き継ぎました。しかし1991年にソビエト連邦が崩壊するまでは、米ソの間に曲りなりにも力の均衡が成り立っており、中東地域への覇権国家の一方的な介入はそれなりに抑制されていたと言えます。
コメント
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かなり納得しました。
触れられていない点について私なりの推定をさせて頂くと、イラク戦争のあとの米国企業の利権を巡る横暴な振る舞い、オスロ合意の後のイスラエルのパレスチナに対する振る舞い、これらがイスラム教徒の怒りに火をつけたのだと思えてなりません。
ナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」には、イラク戦争の後の米国企業のあまりのひどさが、痛烈に批判されています。せめてイラク戦争の事後処理に米国企業が割り込むことなく人道的に行われればここまでの事態にはならなかったのではないでしょうか。
イスラム国のことは詳しくない私ですが、非情に興味があります。