日本国憲法の諸問題 ー自由についての疑念ー

日本国憲法に立ち向かう保守論

そういうわけですから我が愛する日本国は、国家の没落を「進歩」と履き違えて突き進んでいるわけです。そして、時代が進むにつれその歩みを速くしてきている。この大衆の大行進はあまりに甚大なパワーを持って成されているから、ほぼ抵抗の余地はないとも言えます。
それでも、これに抵抗せずに滅びるままに滅びるという態度は、死人の態度と糾弾せらるるべきものです。そこで、出てくるべきは「保守論」や「保守思想」であると私は考えるのであります。

そもそも、法があり憲法というものがある以上、その「憲法の根拠」をどこに求めるか……という問題から逃れることはできません。
日本国憲法は、これを「自然法」というものに求める純粋近代的な態度を取っているわけでありますが、何も我々がこの姿勢に準拠する義理は一片たりともないのです。
憲法を保守的に考えるのであれば、憲法の根拠は「国家の伝統や権威や大儀」にあると考えられるべきはずなのです。

そういう風に言うと、すぐに曖昧な根性論であると誤解されがちですが、そうではない。曖昧ではないのです。
国家の伝統や権威や大儀は、日本文化圏が未だ存在しているという一事をもって、確固としてあります。何故なら、日本文化圏を形成する諸個人に内面化された「日本」というものが実存するからです。
我々が憲法や法による秩序を獲得しようと思えば、また、外国の影響を排除する「最高独立性」という意味での「主権」を獲得しようと思えば、日本人それぞれの意識において、ほぼ無意識的に内面化されている「日本の伝統、権威、大儀」といったものに依拠するほか、仕様がないではありませんか。

例えば、イギリスには成文憲法は存在しませんが、これは決して「自然法」といったフワフワしたものを根拠にしているわけではありません。イギリスは、あらゆる時代のイギリス人が歩んだ歴史の経緯と、その時々確認された歴史的な章典をもって、「憲法」としているだけのことなのです。だから、憲法は記されていなくたって良いのです。
我々はイギリス人ではないので、これを一切真似る必要はありませんが、この態度は大いに学ぶべきなのではないでしょうか。つまり、法の背景には国家の歴史がある、という態度のことです。

つまり、我々は日本国憲法を国家最上の規範と考える必要はないのです。国家最上の規範は、国家の歴史的経緯であり、伝統であり、大儀であり、権威であり、道徳の系譜なのです
ですから、私はある意味希望を持って日本という国を観察してもいるのです。と申しますのも、人間にとって最も面白い話は、大儀や正統の話であったはずだからです。これは、「人類普遍の法則」であるといっても言い過ぎではありません。自然法を根拠に政府や既得権益から権限を剥奪するなどという話を面白がっている輩は人生を損しているのです。
憲法問題とはとどのつまりこんな簡単な事に気づけばよいのであるから、難しい話ではないのであります。

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西部邁

後藤 翔

後藤 翔

投稿者プロフィール

昭和59年生まれ。愛知教育大学教育学部国際文化コース卒。後、家業の学習塾にて講師をしつつ、文筆の修練を積む。ブログ『後藤翔の、日本が日本であるために

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コメント

    • nao
    • 2014年 6月 19日

    日本国憲法に問題があるという認識はもっていたものの、ここまで根深いゆがみを抱えているとはついぞ気がつきませんでした。
    よい記事でした。

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