日本国憲法の諸問題 ー自由についての疑念ー

日本国憲法における国民主権は、国民不在である

このことを詳らかにするためには、三章『国民の権利及び義務』(10条から45条)を紐解く必要があります。加えて言えば、日本国憲法の最悪の問題はこの三章で明瞭に具体化されていると言って過言ではないのです。

そもそも、前文で「主権は国民にある」とまで言っているのであるから、普通の読み手であれば当然、「では、その『国民』とは何であろうか?」と気になるはずです。
しかし、驚くべきことに三章では次のようにある。

【日本国民たる要件は、法律でこれを定める。(日本国憲法・第10条)】

常識的な人であれば、この事に少なくない混乱を覚えるはずです。
何故なら、法律というのは憲法に従って制定されるもののわけです。「国の最高法規」なのですから。そして、その憲法では「主権は国民にある」と言っている。にもかかわらず、その『国民』は「法律でこれを定める」といっているのですよ。つまり、法律は憲法を根拠にし、憲法は『国民』を根拠にし、そして『国民』は法律を根拠にしているというわけです。翻って、また法律は憲法を根拠にし……という風に考えざるをえないのだから、これは根無し草の論理と言って言い過ぎではないでしょう。

とどのつまりこれは、日本国憲法が『国民主権』と言いつつ「国の民」を想定していない証拠であって、『国民不在の国民主権』と呼ぶべきシロモノだということに他ならないのであります。

勿論、日本国憲法に日本国民が不在だからと言って、日本文化圏に日本国民が不在であるという事ではありません。日本の国に、日本国民はいます。また、日本文化圏は日本国憲法の出来る遥か以前からあるのです。
ただ、それはルーツある生誕地としての国家……つまり、『ネイション』としての国家において、国民が歴史的に実存しているという事に他なりません。逆に、統治機構、システムとしての国家……つまり、『ステイツ』としての国家という意味において、日本国憲法上、『日本国民』は想定されていないということなのです。もっと言えば、日本国憲法で言う『日本国民』は、ネイションに土着した国民をステイツに反映させるという態度が非常に希薄であり、一章を除いては皆無なのであります。

では、日本国憲法で想定している『日本国民』とは、一体どのようなものをさして言っているのでしょうか。

基本的人権尊重主義と国民主権主義

再び、三章の「国民の権利及び義務」を見てみましょう。さすれば、日本国憲法の言う「日本国民」とは「単に日本列島という場所に生きている、その時々の人間」の事を言っているに過ぎないことが分かるでしょう。

概観するに、三章は二段階に分けてみるのが捉えやすいと思います。まず一段階目は、第10条から第13条まで。この段階は国民の権利及び義務についての『理念』を語っている部分であることが分かります。二段階目は、第14条以降ということになります。これは第10条から第13条で展開された理念を具体的に列挙して、その態度をより鮮明化していったモノと捉えるべきです。(故に、これは『人権カタログ』とも呼ばれます)
つまり、前文で言われる「主権が国民にある」という事について三章の第10条から13条で理念として連絡していて、二章の第14条以降とそれ以降の章においてこれを具体しているわけであります。
ここでは、前文の国民主権と連絡した理念であるところの、10条から13条を見てみましょう。

二章では、まず先に見た第10条で「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」という風に提示した後、

【国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
(日本国憲法・第11条)】

と、こう来るわけです。
すると文脈上、『国民の権利』の根拠は、『基本的人権』にあるということになってしまう。換言すれば、「人間の権利の保障の為に、国民たる要件が法的に定められている必要がある」とこういう風に捉える他なくなってしまうのです。
しかし、人間の権利とは一体どのような権利の事を言うのでしょう?

【この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。 (日本国憲法・第12条)】

この条文は、これを単体で見れば尤もなことのようだけれども、「この憲法が保障する自由及び権利」とは、人間の権利の事なのであります。つまり、これではまだはっきりしない。

【すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 (日本国憲法・第13条)】

ここでこの憲法の言いたいことの根幹がようやく明瞭になってきます。
その『国民の権利』(人間の権利)とは、
「人間個人の自由な選択が、政府機構によって制限されないこと」
なのです。
そして、まずそうした人間諸個人の自由な選択があって、けれどそうした中では「公共の福祉に反する事」が生じるであろうから、そこにおいてのみ「人権」は制限される……というまとめ方がされているのであります。
要は、諸個人の自由な選択という『人権』の尊重と、『公共の福祉』との均衡が、『国民の権利及び義務』であると、そういう理念なのです。

→ 次ページ:「基本的人権尊重主義と国民主権こそ、日本国憲法のガンである」を読む

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西部邁

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コメント

    • nao
    • 2014年 6月 19日

    日本国憲法に問題があるという認識はもっていたものの、ここまで根深いゆがみを抱えているとはついぞ気がつきませんでした。
    よい記事でした。

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