平等理論[前編]

トクヴィル『アメリカのデモクラシー』

 トクヴィル(Charles Alexis Henri Clrel de Tocqueville, 1805~1859)は、著作の『アメリカのデモクラシー』で平等について語っています。

 多数者の精神的権威は、一つには次のような観念に基づいている。すなわち、一人の人間より多くの人間が集まった方が知識も知恵もあり、選択の結果より選択した議員の数が英知の証だという考え方である。これは平等原理の知性への適用である。この教義は人間の誇りの最後の聖域を攻撃する。だからこそ少数者はこれを簡単には受け容れない。長い時間を経て初めて、少数者はこの教義に慣れる。あらゆる権力と同じく、いやおそらく他のいかなる権力にも増して、多数者の権力が正当視されるには持続が必要なのである。この権力が樹立される初期には、服従は強制によって調達される。人がそれを尊敬しだすのは、その法制の下に長く暮らした後のことである。

 平等原理の知性への適用とは、質ではなく量によって知性を保障するという恐るべき事態を意味しています。人間が平等であるなら、知性はその数の多さによって有益であると判定されるということです。平等によって、多数派による少数派の排除という差別が正当化されるのです。皮肉のお手本のような事態です。
 平等は、人間の絆を断ち切る役目を果たすことが往々にしてあるものなのです。〈平等は人と人をつなぐ共通の絆なしに人間を横並びにおく〉からです。そのため、〈境遇が平等であるときにはいつも、全体の意見が個人一人一人の精神にとてつもなく重くのしかかる〉ことになります。絆が断ち切られた社会において、全体の意見とは異なる見解を持つとき、その人は押しつぶされてしまうかもしれないのです。
 さらに、不平等が当たり前のときには顕在化しなかった不満が生まれます。〈すべてがほぼ平準化するとき、最小の不平等に人は傷つく〉ことになるからです。〈境遇がすべて不平等である時には、どんなに大きな不平等も目障りではないが、すべてが斉一な中では最小の差異も衝撃的に見える〉というわけです。ある観点からの平等が社会正義となったとき、わずかに平等ではないことに関して、人々は我慢できなくなるのです。完全な平等など人間社会では不可能ですから、平等の幻想が解けない限り、不満はずっと続くことになるのです。

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西部邁

木下元文

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投稿者プロフィール

1981年生。会社員。
立命館大学 情報システム学専攻(修士課程)卒業。
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