正義と悪に二分された社会をサバイブするための手がかりとは 劇評:笑の内閣『ただしヤクザを除く』

笑の内閣の笑いのセンスと演劇的位置

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撮影=松山隆行

 以上述べてきたように本作は、暴力団と市民との問題を、我々の日常に寄せて描いた。しかも、単に暴力団との関わりに留まらない広がりを内包している。最後に、笑いの内閣という集団名に冠された笑いの要素と、演劇的な位置付けに触れておきたい。
 笑の内閣は、硬質なテーマをセンスのある一歩引いた自虐的な笑いやパロディネタを盛り込むことで描く。それが、髭だるマンや丸山交通公園をはじめとした決して上手いとはいえないが役者本人の味を生かした演技と、舞台装置がほとんどなく粗末とさえ言える道具で展開することと相まって、独特の魅力を生んでいる。今作でいえば、平田組の直系組織は、遊戯会(柴会長)、東京死岩組(多田組長)、若頭 灰梅会(岩井会長)などと設定されている。高間一家は、その直系組織のひとつである西日本統括本部長 衛星会 連会長のに属す、平田組の孫組織となっている。小劇場に親しんだ観客なら、平田が平田オリザを指しており、遊戯会(柴会長)=ままごと(主宰・柴幸男)、東京死岩組(多田組長)=東京デスロック(多田淳之介)、若頭 灰梅会(岩井会長)=ハイバイ(主宰・岩井秀人)であり、西日本統括本部長 衛星会 連会長は京都の劇団衛星(主宰・蓮行)であることが容易に分かる。
 笑の内閣が東京公演の際に使用するこまばアゴラ劇場は、劇作家・演出家の平田オリザが主宰する青年団の拠点であり、平田が芸術監督を務めている。平田の父親が自宅を改装して誕生したのがこまばアゴラ劇場だ。1990年代以降、平田の劇作の代名詞となった、日常言語を用いた同時多発のリアルで静かな会話劇=現代口語演劇が主流となった。現在に至るまで、様々なエピゴーネンを生む影響力を発揮している。それだけでなく、青年団には演出部が存在しており、多田や岩井は自身の劇団を主宰しつつ、籍を置いている。青年団と平田オリザが始めた手法そのものの演劇界における影響力と、演劇界の芥川賞と呼ばれる岸田國士戯曲賞を受賞する有望な若手演劇人が青年団にも所属して活動していること。平田を頂点とする暴力団組織は、この2点を念頭に置いたものである。劇中に登場する、平田組は旧態依然とした怒鳴ったり暴力を行使したりではなく、現代口語口調で静かに市民を脅す、という台詞には笑わせられた。青年団の根城であるこまばアゴラ劇場で上演しながら放つギリギリの揶揄は、センスが良い。
 また、チラシや劇団HPから漂う皇国日本のトーン、総裁(現在は上皇)と名乗る主宰の高間からは、政治団体そのものをパロディにする志向が感じ取れる。こういった総体の雰囲気は、大川興業や鳥肌実に通じる意匠だ。それでいながら、公演後のアフタートークには政治家や活動家らを呼ぶなど、単なるパロディに留まらない、劇場空間を言説の場へとしつらえようとする真面目な側面も認められる。今作で私が観劇した回のトークゲストは社会学者の宮台真司であり、氏からは貴重な意見が聞けた。
 続いて、笑の内閣の演劇的な位置付けに移ろう。現在の日本の現代演劇は、震災と福島原発事故後の社会と、その後に発足した自民党政権への危惧を抱く演劇人の活動が目立っている。危機的状況後に演劇活動を行う彼らは、今一度、文化・芸術固有の役割とは何かを見つめ直しながら、社会問題を扱った作品を上演している。これが、アーティスティックで洗練された、ハイアートとしての演劇が栄えたゼロ年代から、今語らなければならない物語を模索するテン年代の演劇の変化である。そんな中で、時事問題を日常の些細な問題に喩える笑の内閣の作風は、2000年に旗揚げしたTRASHMASTERS(主宰・中津留章仁)と同じだ。
 だがTRASHMASTERSの作品は、重厚な対話劇を紡ぐ笑いのない舞台である。TRASHMASTERSが描くのは、現在の世界および国内政治が、いかに戦後の理想的な平和主義を脅かすものであるかを示すことにある。中津留の激しい怒りが込もった作品は、時に観客を強烈に告発・否定することに向かう。いわば、暴力的でショッキングな作風によって、観客に現在の危機的状況を自覚させようとする。対して、笑の内閣は先述したように、過激な意匠の中にも、自己卑下にも似た客観的な目差しが含まれている点でTRASHMASTERSとは異なる。また、笑いの要素で言えば、1998年結成の劇団・チャリT企画(主宰・楢原拓)にも通じる。この劇団も、政治権力を笑いによって批評する作品を上演しているが、権力を揶揄する風刺劇の要素が強いために、自己批評性に乏しい面がある。TRASHMASTERSのように観客へ負荷をかけて内省を促す作品と、風刺に徹するチャリT企画は、社会劇の両極に位置する。この見取り図の中では、笑の内閣はちょうど両者の要素を取り込んだ中間に位置する集団だと言えよう。何かの事象に対して正論を吐くだけでは、観客は激しく自己否定するか反発するかの極端な反応を招きやすい。かといって笑い飛ばすだけでは、今度は自らの立場を省みない無責任な批判にしかならない。一歩引いた自己卑下を行いながらも、しっかりとした物語を紡ぐ笑の内閣は、その点のバランスが取れている。今、社会性の伴った集団として私が笑の内閣を支持したいと思うのは、こういった理由からなのである。(2016年7月17日マチネ、こまばアゴラ劇場)

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西部邁

藤原 央登

藤原 央登劇評家

投稿者プロフィール

1983年大阪府生まれ。劇評家。演劇批評誌『シアターアーツ』などに、小劇場演劇の劇評を執筆。共編著『「轟音の残響」から――震災・原発と演劇』(晩成書房)

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