示すことができなかった次の「日本」
アイデンティティが崩壊してしまった日本において、必要だったのは、間違いなく、次のビジョンであり、経済大国に変わる新しい「日本」でした。
しかし、バブルの崩壊を経験した日本にとって、アイデンティティが崩れることはいとも容易いことでした。90年代の週刊ダイヤモンドや東洋経済を引っ張ってくれば、日本型経営を否定する言説の枚挙に暇がないほどでしょう。
ただ、方向性はいくらでもあったはずです。ミスター円こと榊原氏が述べていたようにアジアのリーダーに経済的になることもできたはずですし、GDPという枠組みとは違った勝負もできたはずでした。
それでも、結局はもう一度経済大国を目指すという旗印と、冷戦崩壊後のアメリカへの一極化というシナリオを信じて、「日本」を米国に同化させることに躍起になったしわ寄せは、若者へと寄っていきました。
1998年、ロールモデルを失った若者たち
Report.8でも取り上げましたが、1998年以降、自殺者数が3万人を越え、10年以上、高止まりしていました。
注目したいのは、いわゆる働き盛りの中高年の男性たちは1998年に飛びぬけて自殺者数と比率が高まったが、その後割合としては徐々に減っていく。それでも、絶対数が減らなかったのは、20代、30代の自殺率が減る傾向がなく、むしろ微増していったからでした。
当時の20代、30代は目上の世代にロールモデルを描くことができなかったのでしょう。それもそのはずで、自分たちに直接関係ないはずのバブル経済の崩壊によって、それまでのやり方を突然変えると言い出すわけです。
経験豊富なはずの40代、50代も全く歯が立たず、リストラされる人もいれば、精神を病む人、あるいは自殺にまでいたってしまう人などを目の当たりにしてきたでしょう。
安定を求めるために、黙々と勤めることが美徳だった時代が一変し、欲望や需要に正直でガツガツとした市場原理の中に放り込まれていくわけです。
日本のミッドライフクライシスは若者にとっての緩やかな絶望という形でゼロ年代を支配して行きました。
45歳を回った日本の針路
2013年の時点で、平均年齢は45歳を回ったわけです。
そろそろ、年齢的にはミッドライフクライシスを抜け出してもいいころだと思います。奇しくも2013年は東京オリンピックの開催が決まり、富士山が世界遺産登録されるなど、日本を国外に売り込む要素が見えてきた年でもありました。
ただ、Report.22でも述べたように、今の30代以下にとっては、「日本」を議論しなければ、一枚岩になれないという弱点を持ち合わせています。
これからの日本は「日本」を定義し、人々が一枚岩になれる定義を打ち出すことができるのか否か。
50を前にして、日本の「名誉ある衰退」はまだまだ始まったばかりです。
※第24回「フラッシュバック 90s【Report.24】「護憲サヨク」、「改憲保守」というねじれはどうして生まれた?」はコチラ
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