聴くことが目的から手段に変わる
かつては、趣味の欄に「音楽鑑賞」と書く人も多かったと思います。「鑑賞」という言葉からわかるように、音楽を楽しむことが目的として成り立つからこそ、意味をなす言葉です。
しかし、繰り返し再生が容易となると、音楽をかけることは特別な行為ではなくなります。レコードやカセットの頃合いであれば、違うアルバムをかけるのも一苦労でしたが、CDではコンポのディスクチェンジャーなども搭載され、また、そもそも場所を取らない事から、音楽をかけることに取られる手間はかなり省かれました。
すると、CDをかけること自体が生活の一部となる一方で、音楽を聴くことによる効能などが求められるようになるわけです。
今年、デビュー、10年を迎えた℃-uteの岡井千聖はデビュー当時、「歌の練習のために、MDウォークマンを買ってください」と言われたエピソードを紹介したことがあります。
この場合は、「歌の練習をするための音楽」となるわけです。同じように、90年代には、「ヒーリングのための音楽」などが売り出されることも多くなりました。モーツァルトの音楽はα波が発生するから勉強にはいいなどという言説も生まれました。
こうして、音楽はそれ自体の価値ではなく、音楽を聴くことによる効果や目的を達成するための手段として立ち位置を変えていくことになります。
音楽と映像の位置関係を作ったミュージックビデオ
さらに、音楽の立ち位置を変更してしまったものとして、ミュージックビデオがあります。
実は90年代というのは日本におけるケーブルテレビが普及していった時期でもあります。アメリカの音楽専門チャンネル「MTV」が日本法人を立ち上げたのは1992年、また、日本初の音楽専門チャンネル「スペースシャワーTV」が最優秀のミュージックビデオ決める祭典「MVA」が始まったのも1996年でした。
マイケル・ジャクソンの「スリラー」以降、ミュージックビデオは音楽の世界観を表し、90年代中頃には、音楽とプロモーションビデオはセットになってリリースされることが当たり前となっていきました。90年代後半は振り付けを練習するためのビデオなども売り出され始めます。
メディアミックス戦略によって、音楽を通じたCDは90年代に興隆を迎えますが、逆に音楽自体の存在価値は相対的に薄くなり、この流れは2005年にネット上で登場したyoutubeによってさらに加速していくことになりました。
CDが自分で作れる時代へ
また、90年代後半には、CD-Rが登場します。このイノベーションによって、一般消費者でもCDに自らの音源を作ることができるようになります。それまでは、一般消費者が音楽の複製にはカセットテープ、もしくはMDを用いるしか手段がありませんでした。
それが、CD-Rが本格的に登場することにより、CDという媒体も一般消費者にとって、作ることが出来ないものではなくなったのです。
こうして、分析をしてみると、私たちは90年代を通じて、音楽を「聴く」ものから、「見る」もの、「複製する」もの、といったように、変化させていったのだと思われます。
そういう意味で、90年代というのは色々な業界のゲームチェンジが行われた時期だったといえるかもしれません。
次回は、人々の暮らしに関して起こったゲームチェンジについて分析していきましょう。
※第8回「フラッシュバック 90s
【Report.8】1998年、「変化に追いつく」ことをあきらめた人々」はコチラ
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