サントリーホールで平和運動をしないでください
- 2015/10/9
- 文化, 社会
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ナチス・ドイツがユダヤ人に対してしたことはもちろんとんでもないことですが、連合国が、これだけを悪魔に仕立て上げることによって、自分たちのしたことを巧妙に正当化し免罪してきたことも忘れてはなりません。このトリックは、旧ソビエト連邦のユダヤ人虐殺やシベリア抑留者に対する過酷な扱い、アメリカの原爆投下、最近の中共政府の驚くべき歴史捏造にいたるまで、その隠蔽の構造を連綿と保存し続けているのです。作為的な象徴の形成は、それ以外の現実を忘れさせます。
事実、日本で毎年行われるヒロシマ・ナガサキの追悼・祈念儀式には、「この非人道的な行為の直接の下手人は誰か、われわれは誰に対して憤りを向けることが正当なのか」という問いが生まれてくる余地のまったくない欺瞞に満ちたものです。もちろん下手人はアメリカであって、そのことがうやむやにされてきたのは、アメリカが中心となって作り上げた東京裁判史観と、日本の左派が作り上げた自虐史観との合作によるものです。
よく言われるように、あの記念碑に書かれた「安らかに眠ってください。過ちは二度と繰り返しませんから」という碑文のあいまいさのうちにある恐るべき欺瞞性を断固として退けるのでなければ、「平和」についての理性的な思考は一歩も動かないのです。この憤りを忘れたあいまいさと同じものが、今回のコンサート企画にも存分に込められているのであって、音楽に「平和活動」を持ち込むことは、悪い意味でじゅうぶんに政治的なことなのです。
いろいろと小うるさいことを申しましたが、要するに私が言いたいのは、アウシュヴィッツとヒロシマとをその悲惨さによって、「人類が犯した過ち」というように抽象的にとらえて同一視するような粗雑なものの見方による限り、何億回平和を祈念してみても、戦争や虐殺はけっしてこの世からなくならないということです。両者を一緒くたに並べた詩の朗読を聞かされたコンサート会場の聴衆のほとんどは、おそらく善意に満ちた素朴な共感を示して拍手の一つもしたのでしょうが、それがいったい何だというのでしょうか。私はむしろ、「今日はアルゲリッチのピアノを聴きに来たので、余計なことはやらないでくれ」と感じた聴衆が少しでも会場にいたことを信じたい。
この企画の担当者およびこれを何の疑いもなく放映したNHKの担当者は、お願いですから、この種の文化と政治を混同させる企画が、理性的にものを考えようとする頭脳の働きを麻痺させる作用しかもたらさないということに気づいてほしいと思います。
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