『金閣寺』から見る三島由紀夫の美の追求
- 2014/12/26
- 文化
- 京都, 金閣寺, 鹿苑寺
- 31 comments
自決によって自らの人生を「完結」させた三島由紀夫
三島は、偽善を徹底的に憎みました。そして、同時に、その偽善の中でのうのうと暮らす自分をも嫌悪します。
私の中の二十五年間を考へると、その空虚に今さらびつくりする。私はほとんど『生きた』とはいへない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ。二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変へはしたが、今もあひかはらずしぶとく生き永らへてゐる。生き永らへてゐるどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまつた。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善といふおそるべきバチルスである。こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終はるだらう、と考へてゐた私はずいぶん甘かつた。おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら(中略)
それほど否定してきた戦後民主主義の時代二十五年間、否定しながらそこから利益を得、のうのうと暮らして来たといふことは、私の久しい心の傷になつてゐる」
(1970年(昭和45年)7月7日付のサンケイ新聞夕刊の戦後25周年企画「私の中の25年」『果たし得てゐない約束』三島由紀夫)
一方には、偽善を憎む心と、その偽善にまみれた空間から利益を得てのうのうと暮らす自分との耐えがたい分裂という現象があり、他方で、様々な思索や活動の中で、「もうこれ以外にない」というような一つの結末へと収束していく統合という矛盾性が三島の人生の物語に内在されています。
果たして、このような人生の結末によって、三島自身が、その理想とした美を完遂させられたのかは分かりません。が、しかし、今なお、三島のこの生き様と死にざまは、その衝撃的なるが故に、現代に生きる私たちに「点」として突き刺さり、非常に重たい問いを投げかけ続けているように思います。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
経済だけ論じてればいいのに、もう文化人気取りかよ
太田光の金閣寺論のパクリかな?