例えば北原さんは数年前、「過激な性教育」が問題になった時、
(私も)小学校で講演したことありますからね。
「南青山四丁目に住んでいる某という女が、小学校でコンドームとか、チンコとかマンコとか言っていた!」という風に(新聞に)書かれるのも時間の問題なのかしら?
と自らおっしゃっていたのです*2。
ろくでなし子さんについても、一回目の逮捕について、釈放後に10月18日の『毎日小学生新聞』で採り上げられたことがありました。そこでは
オリジナルキヤラクター「まんこちゃん」の特大着ぐるみと一緒に女性警察官のコスプレで登場し、(中略)ユーモラスに語り、笑いを誘った。
女性器を意味するまんこという言葉が、伏せ字にされたり隠されたりするのはおかしいと疑問を抱いたことが活動の原動カだ。
と、小学生に配布される新聞紙上で、女性器名称が連呼されていたのです*3。
フェミニストたちは「今の性のあり方」を憎悪し、それをリセットしようと逸るあまりに、このような勇み足を踏んでしまうのではないか、と思われます。結果、彼女らの主張や表現は、それこそ「ロリ美少女をギタギタにレイプする」漫画を楽しんでいるオタクですらどっ退きしてしまうような、不道徳なものになってしまっているのです。事実、「今まで女性を虐げてきた男性への逆襲だ」とばかりに、男性へとセクハラして得意げなフェミニストなどにも、よくお目にかかります。
本件では、先に書いたような恨みから、北原さんろくでなし子さんの「ブーメラン」ぶりを嘲笑するオタクたちの声が目立ちます。
一方、オタク界の上層部からは「真の敵は国家である、我々は味方同士で争っている場合ではない」とでもいった声が聞こえてきます。オタク界の上層部は表現の自由について常に闘争してきた歴史があり、また同時に左派寄りの人々が多いため、どうしてもそのような声が強くなる傾向にあります。
が、ここでわかったのはいわゆるポルノとフェミニストでは、「露骨な性表現をする」という点は共通していても、その動機、主張は全く別のものであるということです。
事実、ろくでなし子さんはかねてより
(´-`).。oO(性器のアートはじぶんの身体性をとりもどしたくてやっている。とことんじぶんのため。欲望の対象として性を表現してる人に「僕も女性器をモチーフにしてるので仲間」と言われても、全く話がちがうんだよなぁ
とおっしゃっていました*4。
ぼくたちは彼女らと共闘する必要があるのか、できるのか、そうすることでどのようなメリットデメリットがあるのか、今一度考え直してみた方がいいのではないでしょうか。
*1(http://dot.asahi.com/aera/2014062300056.html)でも見ることができます。
*2 これは彼女自身のインターネットラジオ「婆星」で語られていたことで、詳細は不明です。
*3 むろん、記事そのものは記者が書いたものでしょうが。また上の記事は厳密には、新聞とは別刷りになった「15歳のニュース」のものではあります。とは言え、『毎日小学生新聞』を取っている家庭には、これが自動的に送られるようになってはいるのです。
*4(https://twitter.com/6d745/status/483375281122455552)
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