英語、英語と騒ぐな文科省

日本人の英語が上達しない理由

 まず、日本人の英語が上達しないのには、それなりの理由があります。
 第一に、欧米語と日本語は、文法構造が基本的に異なります。日本語と朝鮮語は、世界の主要国のなかで特殊と言ってもよい構造を持っていて、中国語のほうがむしろ欧米語に似ています。たとえば、主語、述語、目的語などの統辞規則は中国語と欧米語ではほとんど同じですし、文脈の中での特定の単語の独立性の高さについても両者は近いところがある。ですから、漢籍は、古代から近代以前までの日本にとって主たる教養の源でしたが、これを日本語に書き下すにあたって、当時のインテリたちは血のにじむような努力を強いられたわけです。この困難は、欧米語を学ぶにあたっても共通しています。ちなみに韓国人も英語が苦手だそうです。
 第二に、日本は島国のせいもあって、長い間、生活や文化面での固有の伝統を維持してきたため、きわめて内部的な同一性の高い国民であること。いまでも国内でふつうに暮らしていれば、英語を話す能力なんて、そんなに必需品にはなりませんよね。必要がある人、語学が好きな人、世界に羽ばたきたい人は大いに勉強すればよいので、別に公教育が騒ぎ立てなくとも、民間にはその機会がふんだんに用意されています。
 第三に、英語力推進論者は、しきりとアジア諸国との比較で日本人の英語力の低さを問題にするようですが、この場合のアジア諸国とは、インド、パキスタン、ミャンマー、シンガポール、マレーシア、フィリピン、ついでに国ではありませんが香港、といったところでしょう。何を言いたいかお分かりですよね。これらはみな、かつて英米の植民地だったところです。現地語を公用語として用いることが許されず、生きていくために否が応でも英語を使わざるを得なかった歴史を持っているのです。
 翻って日本は、アジアでほとんど唯一、植民地化を免れて自力で近代化を成し遂げた国です。日本の一般民衆が英語が不得意なのは、こうした自国の歴史を誇りうる理由になりこそすれ、少しも自己卑下する理由になどならないのです。現に民族的伝統を長く保ってきた大国、ロシア、中国、フランス、スペインなどの一般民衆は、英語ができなくても劣等感など持たず、平然と自国語を駆使しているではありませんか。まあ、できないよりはできたほうがいいですけどね。

成績優秀な者の作るカリキュラム

 次に、公教育というのは時間が限られており、英語以外の他のこともたくさん学ばなくてはならないので、もともと基礎レベルを身につける程度で甘んじなくてはならない宿命を負っています。私は、すべての子どもに施されるべき教育(普通教育)は、中学校で現在教えられている程度まで達成できれば十分と考えています。要するに読み書きそろばん、プラス、自然を見る目、社会について考える習慣、くらいが養えればもって瞑すべしでしょう。
 しかし現状はどうかというと、これさえもままならないのです。高校は現在、実態として義務教育化していますが、中学校レベルのことをきちんとマスターしている子どもは半分もいません。底辺校を訪ねれば、アルファベットがまともに書けない子、簡単な整数の計算ができない子、などにごろごろ出会います。
 そうして、これらの状態が改善されないまま、決められた人生ルートに載せられて6割の子が大学に進学します。大学に進学すると、それまで習ったことの大半を忘れてしまう学生が多い。平均レベルの大学生が一次関数などまったく憶えていませんし、三権分立のしくみも知らない。この間も、「大晦日に鳴らす鐘は何の鐘というの?」と質問したら、驚いたことに、答えられた学生がほとんどいませんでした。
 私は何を言いたいのか。文科省のお役人のみなさんは、グローバル化に遅れてはならじ、すわ英語の早期教育を、などと遠大な理想を立てて色めき立っているようですが、彼らは、自分たちが成績優秀だったので、できない子にとって新しいことを学ぶ〈きちんとマスターする〉ことがいかに苦行であるかということが感覚的にわからないのです。

グローバルな計画と平等主義に引き裂かれる現場の教員

 しかも戦後の公立教育では、平等主義の建前を取らなくてはなりません。できない子、やる気のない子、特定の学科がどうしても苦手な子、という存在がわんさかいるという現実には目をつむって「計画」なるものを立てなくてはならないのですね。これが戦後公教育に巣食ってきた根本的な欺瞞です。この欺瞞が、現場の先生を永らく苦しめてきました。
 それに加えて、先ほども述べましたが、なぜ日本人全員が英語ができなくてはならないのか、私にはわかりません。英語などに直接かかわりのない道を歩む子どものほうが圧倒的に多いのですから、そういう子どもにいくら早期英語教育など施しても、じきに投げ出して忘れてしまいますよ。馬に水を飲ませることはできません。これはやってみればわかります。
 言葉の学習は、本来、生活と切り離された教室のような場で修得するものではありません。優秀な子はそれでも習得できますが、普通の子が日本で生活していて、たかだか週3時間か4時間習ったからといって、身につくものではないのです。逆に言えば、中卒の寿司職人がロスやニューヨークで寿司店を経営しようと思って現地で懸命に努力すれば、たちまち英語などマスターできるでしょう。モンゴル出身の力士が見事な日本語を話すことを見てもそれがわかりますね。

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西部邁

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  1. 2016-3-14

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