今回は、大阪都構想の問題に関して政治プロセスの観点から考えてみたいと思います。
最初に確認しておくべきことは、民主主義とはただの多数決ではないということです。確かに、最終的には議会における多数決で決まってしまうという側面は確かにあります、しかし、何の専門知識も持たない一般人に無理やり期限を区切って「イエスか?ノーか?」と選択を迫り、ウソだらけの説明やプロパガンダを用いて有権者を騙してでも自身の政治的目標を達成することが「真っ当な」民主主義であるとは誰も思わないでしょう。
ちなみに、今回の大阪都構想の住民投票というのは正式名称ではなく、正確には「特別区の設置に関する協定書」の賛否を問う住民投票という事になっています。実は、この協定書は議会ではとっくに否決されています。
都構想協定書を否決、大阪府市議会 橋下氏ら再提出へ
大阪府市両議会は27日の本会議で、府と市を統合再編する「大阪都構想」の協定書(設計図)を公明、自民など野党会派の反対多数で否決し、不承認とした。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASHC27H36_X21C14A0AC8000/
その後有権者からは中身のよく分からない様々な政治的プロセスを経た結果として、一度議会で否決された内容の協定書がそのままほとんど何の改変もなしに住民投票にかけられることとなりました。要はゾンビ法案なのですね、中身が腐ってるのです。
では、なぜ一度否決された法案を今度は住民投票で可決させようとしているのでしょうか?理由は簡単です。要は議会ではとても可決させられないような中身の腐った欠陥商品(欠陥法案)でも、住民投票でなんの専門知識もない一般市民なら騙して説得して法案を可決させられるかもしれないと橋下が考えたというただそれだけのことです。ちなみに、このように、一度議会での審議の結果否決された法案を無理やり直接投票的な民意の助けによって無理やり押し通してしまおうとするプロセスは小泉純一郎氏の郵政選挙と全く同じ構造を有しています
ところで、勘違いしてはいけない点は、実際には今回の、住民投票は民意を問うために行っているワケではないということです。単純に、議会で否決されたので、橋下徹氏が自身の政治的目標を達成するために住民投票以外に(実質的に)手段がないこと。それから、議会での真っ当な議論を通して賛成を勝ち取るよりも何も分からない住民に対して嘘と詭弁を弄して騙して賛成を獲得する方が容易であると判断したからです。
橋下徹本人は堂々と『まっとう勝負』という本の中で、
「嘘をつかない奴は人間じゃねえよ」
と書いていますし、また同時に『図説 心理戦で絶対に負けない交渉術』という本の中で
「私は交渉の過程で“うそ”も含めた言い訳が必要になる場合もあると考えている。自身のミスから窮地に陥ってしまった場合は特にそうだ」
とも書いています。つまり橋下氏は嘘をつくことに罪悪感を持っていないどころか、そもそも悪いことであるとすら考えていないワケです。このような人間が存在すること自体は悪いことであっても仕方のないことでありますが、このような詐欺師同然の男が政治家になって現実の政治に大きな影響力を持ってしまっているという事は悲劇以外の何物でもありません。
また、今回の都構想に賛成している多くの大阪市民の非常に残念な点は、都構想の案自体に賛成しているにせよ、橋下徹という男を支持しているからこそ賛成しているにせよ。どちらにしても、その橋下徹自身は「民意を問う!!」などと言って市民の考えや石を表面的には尊重しているかのようなフリをしていますが、実際には、心の底から市民を見下し馬鹿に仕切っているということです。もし、仮に、本当に市民の考えや意志を尊重し、市民に敬意を払っているとするなら、催眠商法などと揶揄されるような説明会を繰り返し開催し、「嘘ではないけど詐欺である」などと自信が認めるような詐欺パネルを多用して市民を騙そうとするでしょうか?
私は、今回の都構想が可決されることは、大阪市という町のみが解体されるのではなく、市民と政治、行政との間の誠実性、信頼関係、あるいは戦後日本の民主主義を根底から破壊するような危険性を秘めているのではないかと大変危惧します。
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