『日本式正道論』第三章 仏道

第六節 中世仏教

 中世においても、仏教では道が語られています。代表として、禅家や室町仏教を代表する蓮如を挙げることができます。

第一項 臨済宗の夢窓疎石

 夢窓疎石(1275~1351)は、夢窓国師とも称される南北朝時代の臨済宗の僧です。
 『夢中問答集』の[求道と福利]には、〈道のために福を求むることは、まことに世欲に異なりといへども、求め得たる時は喜び、しからざる時は嘆く〉とあります。仏道のために福を求めることは世俗の欲とは異なりますが、求め得たときは喜び、そうでなければ嘆くというのです。
 [神仏の効験]には、〈虚妄の見を離れて、真正の道を悟れるは、真実正直の人なり〉とあり、〈仁義の道を学びて、物を殺さず理を曲げずは、これ又正直の人なり〉とあります。
 [政治と仏法]には、〈十七箇条の憲法の始めに、上下和睦、帰敬三宝と載給へるも、政道を行なふことは、仏法のためなるよしなり〉とあります。聖徳太子の十七条の憲法を根拠として、政治を行なうのは、仏法のためでもあると語られています。
 [菩提心]には、〈衆生のために仏道を求むる人を、菩薩と申すなり〉とあります。
 [不二の摩訶衍] には、〈ただ自ら出離する道を求めて、他を益する心なし。この故に同じく小乗心と名づく。衆生を利益せんために、大乗の道を求むるをば、菩薩と号す〉とあります。自分だけで他を益する心がなければ小乗であり、衆生を益する道を求めるのなら大乗であり菩薩だといえるというのです。

第二項 臨済宗の中巌円月

 中巌円月(1300~1375)は南北朝時代の臨済宗の僧です。
 『中正子』では、〈道の大端は二あり、曰く天、曰く人。天の道は誠なり、人の道は明なり。それ惟だ誠明の体に合すれば、中なり、正なり。正なるものは道に遵って邪ならず。中なるものは道に適って偏せず〉とあります。道には天と人とがあるとされています。それを踏まえて、〈聖人の道は大なり。仁義なるのみ〉と語られています。そのため、〈仁義は天人の道か。天の道は親を親とす。人の道は尊を尊とす。親を親とするの仁は信に生ず。尊を尊とするの義は礼に成る。天人の道殊(こと)なると雖も、推してこれを移せば一なり。これを一にするは、知と謂ふべきかな〉とあり、天の道と人の道の違いが述べられています。天は親しむべきを親しむのに対し、人の道は尊ぶべきを尊ぶのです。親しむという仁は信じることから生じ、尊ぶという義は礼によって成ります。天の道と人の道とは異なるといいますが、推し進めるなら一つのことです。これらを一つとするのは知識だとされています。
 また、経権の道についても述べられています。〈経権の道は、国を治むるの大端なり。経は常なり、変ずべからざるものなり。権は常にあらざるなり、長ずべからざるものなり。経の道は秘吝すべからず、これを天下の民に示して可なり。権なるものは経に反きてその道に合ふものなり。反きて合はざれば、権にあらざるなり〉とあります。経は永遠不変の常道で真理のことです。経はけちってしまっておくのではなく、広く民に開示すべきものだと語られています。権は臨機応変の方策のことです。権は常に妥当するものではないので、ひき延ばして恒久化してはならないと語られています。権は経に背いているように見えますが、道に適っているとされています。道に適っていなければ権とは言えないというのです。
 また、沿の道と革の道という言葉も見えます。〈凡そ四時の用たる、春は生じ夏は養い、秋は殺し冬は静なり。静なるが故に能く生ず生ずれば養う。これすなはち沿の道なり。既に生じ既に養ひてこれを殺す、これ革の道なり〉とあります。沿は踏襲・保守の意で、因と同じです。革は変革のことです。改革の道についても言及があり、〈中正子曰く、改革の道は、疾く行ふべからず〉と語られています。いわゆる漸進の思想です。

第三項 臨済宗の抜隊得勝

 抜隊得勝(1327~1387)は臨済宗の僧です。
 『塩山和泥合水集』では、〈ココロザシ深キ時ハ、文字ヲシル人ハ、シルトコロヲ道ノタヨリトシ、知ザル人ハシラザルヲ道ノタヨリトス〉とあります。志が深いならば、文字を知る人は文字を知ることによって道の便りを得、文字を知らない人は文字を知らないことをもって道の便りとすると語られています。

第四項 浄土真宗の蓮如

 蓮如(1415~1499)は室町中期の浄土真宗の僧です。浄土真宗と本願寺は親鸞の子孫によって細々と守られていましたが、蓮如が宗旨を平易な文で説く『御文(おふみ)』を使って布教を行い、門徒派を組織化して勢力の拡大に成功しました。
 『御文』には、〈善知識にあひてそのをしへをうけて、この南無阿弥陀仏の名号を南無とたのめば、かならず阿弥陀仏のたすけたまふといふ道理なり〉とあります。善知識とは、人々を仏の道へ誘い導く高徳の僧のことです。その仏道に励む人に会って教えを受け、南無阿弥陀仏を唱えれば、阿弥陀仏が助けてくれるという道理が語られています。
 また、〈浄土真宗トヲカルゝコトハ、浄土宗四ヶ流ニハアヒカハリテ、真実ノ道理アルガユヘニ、真ノ字ヲヲカレテ浄土真宗ト定メタリ〉とあります。真実の道理ゆえに、真という文字を置いて浄土真宗と定めたと語られています。

→ 次ページ「第七節 近世仏教」を読む

ページ:
1 2 3 4 5 6

7

8 9

西部邁

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

  1. 2016-3-14

    やくざ国家・中共に日本はどう対峙すべきか(その1)

     アメリカの覇権後退とともに、国際社会はいま多極化し、互いが互いを牽制し、あるいはにらみ合うやくざの…

おすすめ記事

  1.  お正月早々みなさまをお騒がせしてまことに申し訳ありません。しかし昨年12月28日、日韓外相間で交わ…
  2. SPECIAL TRAILERS 佐藤健志氏の新刊『愛国のパラドックス 「右か左か」の時代は…
  3. ※この記事は月刊WiLL 2015年6月号に掲載されています。他の記事も読むにはコチラ 女性が…
  4.  経済政策を理解するためには、その土台である経済理論を知る必要があります。需要重視の経済学であるケイ…
  5. 多様性(ダイバーシティ)というのが、大学教育を語る上で重要なキーワードになりつつあります。 「…
WordPressテーマ「SWEETY (tcd029)」

WordPressテーマ「INNOVATE HACK (tcd025)」

LogoMarche

TCDテーマ一覧

イケてるシゴト!?

ページ上部へ戻る