思想遊戯(2)- 桜の章(Ⅱ) 日本神話
- 2016/3/11
- 小説, 思想
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第二項
智樹「先生。先日、友達と日本神話のコノハナノサクヤ姫とイワナガ姫の話をしたんですよ。」
僕は、参加している私塾の講義が終わってからの打ち上げの席で、三宮(さんのみや)教授に話しかけた。
三宮「日本神話ですか。最近の学生は、そんなことを話題にするのですか?」
三宮教授は、珍しいことを聞いたという風に、驚きの表情になった。
智樹「ええ、まあ。ちょっと色々とありまして。その友達は知識が豊富で、日本神話についても色々と教えてもらったんです。」
三宮「なるほど。それで、どのような話だったのですか?」
智樹「天孫降臨で地上に降り立ったニニギという人物が、美しいサクヤ姫を見初めて結婚する話です。そのときサクヤ姫の父親は、姉のイワナガ姫も一緒に結婚するように勧めるのですが、イワナガ姫は醜いため、ニニギはイワナガ姫を送り返してしまうんです。サクヤ姫は、花の美しさと儚さの比喩であり、イワナガ姫は、岩の永続性の比喩なんです。サクヤ姫と結婚して、イワナガ姫と結婚しなかったため、神の子孫である天皇の寿命は短くなったという物語なんです。」
僕が説明すると、三宮教授は少し考え込んでから話し出した。
三宮「それは一般的には、バナナ型神話と呼ばれるタイプですね。」
智樹「バナナ型神話ってなんでしょうか?」
三宮「う~ん。少し長くなりますが・・・。」
僕はうなずいた。
智樹「構いません。是非、お願いします。」
教授は丁寧に説明を始める。
三宮「バナナ型神話とは、東南アジアやニューギニアを中心にして、各地で見られる死や短命にまつわる起源神話を意味しています。確か、スコットランドの社会人類学者ジェームズ・フレイザーが命名したものだったと思います。」
智樹「なぜ、バナナなのですか?」
三宮「バナナが出て来る説話が基になっているからですね。大まかに言うと、神が人間に対し、石とバナナを示す話です。人間は当然ですが、食べられない石よりも、食べることができるバナナを選びます。石は不老不死の象徴です。人間が石を選んでいれば、人間は不死か、あるいは長命になったと考えられています。バナナは脆く腐りやすいですから、人間は死ぬ、あるいは短命になったと考えられているのです。」
僕は驚いた。
智樹「サクヤ姫とイワナガ姫の話と、基本的な部分は同じですね。」
三宮「そうですね。日本神話でいうと、サクヤ姫とイワナガ姫の説話はバナナ型神話の変形だと見なせます。石が岩を名前に含んだ女性に変化していて、バナナは花に変化していますね。花は繁栄の象徴であり、岩は長寿の象徴です。」
僕は、考え込んでしまったが、教授は静かに僕の言葉を待ってくれた。
智樹「確かに、バナナバージョンと日本神話は、基本的な構造は同じだと思います。ですが、やっぱり、少し違うところもあると思うのですが・・・。」
三宮「例えば、どこですか?」
智樹「う~ん。そうですねぇ。日本神話では、ニニギの選択によっては、イワナガ姫とも結婚することもできたと思うんですよ。つまり、繁栄と長寿の両方を手に入れることができた可能性が示されていたのではないでしょうか? だけど、バナナ神話の方は、石を選択してバナナを手放すという選択肢は、始めからなかったのではないでしょうか?」
僕がそう言うと、今度は教授の方が考え込んでしまった。僕は、黙って教授の答えを待った。
三宮「なるほど。確かにそう考えると、バナナ型神話では、神様が意地悪な気がしますね。石とバナナの二者択一を示されたら、それはバナナの方を選びますからね。」
僕は嬉しくなった。
智樹「そうなんです。それに、バナナの方は、前提がおかしいと思うんですよ。もともと石を食べられなくて、バナナを食べられる人間に対して、選択肢を提示しているじゃないですか? これって、そもそも理由になっていないと思うんですよ。だって、例えば今の我々は、バナナを食べることはできても、石は食べられないじゃないですか。その我々に対して、急に神様がやってきて石とバナナを持ってきて、どっちを食べるか聞かれるなら、バナナを選ぶしかないじゃないですか。それでバナナを食べると、神様は、はい、残念~。石を選ばずにバナナを選んだんで、あなたは短命で~す。とか言われるわけですよ。なんか、むかつきませんか? なんか、卑怯というか、単におちょくられただけのような気がしませんか?」
教授は、うなずいてくれた。
三宮「そうですね。そのバナナ型神話に比べ、日本神話の方は、自分が選んだ選択によって、自分が制限を受けるという点がはっきりしているように思えますね。自業自得という観点が、はっきりしています。」
智樹「そうなんです。例えば、綺麗で料理が下手な女性と、容姿が微妙で料理がうまい女性のどちらかを選ぶ、あるいは両方を娶るといった場合を考えると分かりやすいと思うんですよ。」
三宮「その場合ですと、嫁の容姿自慢ができるけど料理下手なため長生きできない人生と、料理上手のおかげで長生きできる人生に分岐しますね。その分岐は、自身の選択によって決定されるわけですね。ちなみに蛇足ですが、今の日本では一夫多妻は認められていませんから、両方を娶るというのは難しいですね。」
そう言って、教授は笑った。僕も笑った。ああ、こういう会話は心地良い。教授は、紳士的で理知的なので、僕の意図していることなど、すぐに察してくれるのだ。それが出来るほど頭の良い人との会話は、スムーズに進んで僕は心地よさを感じる。
智樹「まあ、一夫多妻の話は置いておきまして、日本神話の方は、ニニギが美しさを選んで、醜い容姿に恐れをなしたということで、まあ、納得できるんですよ。ですが、バナナ型の方は、まずは、人間が石もバナナも両方食べられる、もしくは両方食べられないというところから、どちらかを選ぶという形式が必要になるんです。どちらも五分のものとして、その上で、どちらかを選ぶ根拠がなければならないと思うんですよ。」
三宮「そうですね。」
智樹「はい。ところで、バナナ型神話って、他には見られないのですか?」
僕は、話題を変えた。
三宮「そうですね。有名なところでは、『旧約聖書』の創世記の記述ですね。」
智樹「『旧約聖書』ですか・・・。」
三宮「ええ。『聖書』は読んだことがありますか?」
智樹「いえ、すいません。読んだことないです。」
三宮「では、アダムとイブという名前は知っていますか。」
智樹「ええ、知っています。最初の人間ですよね。」
三宮「そうです。『旧約聖書』では、神は、最初の人間アダムを造り出します。神はエデンの園という楽園を作り、アダムをそこに住まわせます。次に、そのアダムから最初の女性であるイブを造り出します。」
僕はうなずいた。『聖書』そのものを真剣に読んだことはなくても、アダムとイブの話は有名なので知っている。後は、ノアの箱船とか、バベルの塔の話なんかは、大体分かると思う。
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