思想遊戯(2)- 桜の章(Ⅱ) 日本神話

一葉「日本神話としては、『古事記』と『日本書紀』が有名ですね。サクヤ姫とイワナガ姫の物語も、この二つの歴史書に記載されています。『古事記』と『日本書紀』には、同じ物語が、異なった内容で記述されている場合があります。」
 僕はうなずいて、続きを促した。
一葉「『古事記』では、ニニギはイワナガ姫を見て恐れをなして、親のもとへ送り返します。イワナガ姫は、その後出てきませんし、永遠の命を手放す理由も、イワナガ姫と結婚しなかったからだと語られています。」
 僕は、先の展開を想像した。
智樹「では、『日本書紀』の方は・・・。」
一葉「『日本書紀』には、イワナガ姫が呪いをかけた話が記載されています。」
智樹「呪い・・・。」
 僕は、思わず彼女を見つめた。彼女は、僕を見つめ返して、言葉を続けた。
一葉「ニニギに追い返された後、イワナガ姫は恥ずかしさを感じ、呪いをかけました。私と結婚していたら、生まれる子供は永遠の命を得たでしょう。ですが、妹一人と結婚したため、生まれる子供の命は、花のごとく散ってしまうでしょう、と。」
 僕は、イワナガ姫を想った。せつないような、痛さを伴う気持ちが胸の中に生まれた。
智樹「二つの神話では、理由が異なるということですか? 結婚しなかったためと、呪いをかけられたためと。」
一葉「どうでしょうか・・・。ただ、一説では、イワナガ姫はさらなる呪いの言葉を吐いています。この世に生きている人々は、花のごとくに移ろって、衰えてしまうと。これが、世の人の命がもろいことの原因として語られているのです。」
 僕は、呪いの言葉を吐くということに、胸が締め付けられた。不思議だ。僕は、神話の話に、こんなにも心を動揺させるような人間だったのだろうか? もっと、冷めた見方をする人間だったじゃないか。
 もしかしたら、いいや、もしかしなくても、彼女の言葉だからこそ、僕は動揺しているんだ。ただの話ではなく、彼女の話だからこそ、僕は動揺しているんだ。
 僕は、彼女の話してくれた内容で、気になった点をたずねてみることにした。
智樹「『日本書紀』の側にだけ、天皇の命が短い理由だけではなく、世の人の命が短い理由が、イワナガ姫の呪いによって説明されているのですか?」
一葉「はい。そうです。イワナガ姫の呪いによって、世の人の寿命は短いのです。」
 彼女は憂いを帯びた表情を見せる。僕は、彼女の美しい容姿を想う。客観的にも主観的にも美しい女性が、醜いために結婚できずに呪いの言葉を吐く女性の物語を物語る。これは、なんという出来事なのだろう。世の中に、残酷さというものが、有り有りと在るのだということが分かる。僕は、的確な表現が思い浮かべることができなかったけれど、これがとても貴重で贅沢な体験であることは分かった。
智樹「イワナガ姫は、それからどうしたのですか?」
一葉「『日本書紀』の記述においても、イワナガ姫は呪いの言葉を発した後、出番はなくなります。イワナガ姫は、呪いを発した後、それからどのような人生を過ごしたのでしょうか・・・?」
 彼女は、無表情で語る。その無表情という表情の裏で、どのような感情が彼女の心の中に生まれているのだろうか。僕は、彼女がとても頭が良いということは分かっているけれど、彼女が何を考え、何に心を動かされるのか、そのことをほとんど知らない。いや、ほとんど分からないと言った方が正確だろう。彼女は、神秘的で、魅惑的で、不思議な存在なんだ。僕は、彼女のことをはかりかねている。
智樹「では、サクヤ姫の方は?」
一葉「サクヤ姫は、身ごもって子供を産みます。ただし、ニニギは、一夜の交わりで妊娠したサクヤ姫に疑惑を投げかけます。別の男の子供ではないかというのですね。サクヤ姫は、自身の潔白を証明するために、誓約(うけひ)をします。」
智樹「ウケイって何ですか?」
一葉「誓約(うけひ)とは、古代日本の占いのことです。」
智樹「なぜ占いをするのですか?」
一葉「誓約(うけひ)では、ある事柄について、そうならばこうなる、そうでないならば、こうなるという宣言を行います。そのどちらが起こるかによって、吉凶を判断するのです。サクヤ姫は、子供を産むときに産屋へ火を放ち、ニニギの子でなければ無事に産まれない。ニニギの子ならば無事に産まれると宣言して、無事に子供を産んで自身の潔白を証明したのです。」
 僕は、微妙な気持ちになった。男のあわれな側面というか、男の嫉妬の醜さを、綺麗な女性に赤裸々に語られるというのは、すごく、気まずい。
智樹「・・・すごい話ですね。」
一葉「サクヤ姫は、三柱の子を産みました。火が盛んに燃えている時に生んだ子、火が弱くなった時に産んだ子、火が消えた時に産んだ子の三柱です。」
智樹「何か、不思議な話ですね。僕は、サクヤ姫とイワナガ姫の話を聞いていて、イザナミのことを思い出しました。イワナガ姫は人の寿命を制限しましたが、イザナミは人の死を約束していましたよね?」
 彼女は、僕の言葉を聞き、一瞬キョトンとした表情になった。それから、嬉しそうに笑った。
一葉「よくご存じで。」
 僕は、照れくさくなった。
智樹「いや~、たまたまですよ。」
 その話については、中学生のとき何かの授業で教師が話していたのを、たまたま覚えていただけだ。イザナギとイザナミは、日本神話で国産み・神産みを行う非常に重要な神だ。日本の国土を形づくり、森羅万象の神々を産み出した。
 しかし、イザナミは火の神の子供を産み、そのときの火傷がもとで亡くなってしまう。夫であるイザナギは、死んでしまった妻のイザナミに逢いたいため、黄泉の国へおもむく。黄泉の国は、死者がおもむく場所だ。そこでイザナギは、決して除いてはならないという約束を破って、腐敗したイザナミの姿を見てしまう。イザナギは逃げだし、イザナミは追いかける。イザナギは、黄泉の国と地上との境にある黄泉比良坂(よもつひらさか)の出口を大岩で塞ぎ、イザナミと離縁した。そのとき、岩を挟んで二人は会話を行う。その会話の内容について、彼女は語り出した。
一葉「イザナミは、一日千人の命を奪うことを約束し、イザナギは一日千五百人の新たな命を約束するのでしたね。」
 僕はうなずく。
智樹「そうですね。それをそのまま受け取れば、日本では一日に五百人ずつ人口が増えていく計算になりますね。今は少子高齢化ですから、この神話の約束も効力を失ったのかもしれません。」
 ちなみに、イザナギが黄泉の国の穢れを落とすために禊(みそぎ)を行うと、天照大神を含む、日本神話でも重要な神々が誕生するのは有名な話だ。
 僕は、とても不思議な気がした。日本神話は、単なる神話だ。どこかの誰かが、勝手に作った物語だ。その物語を目の前にいる女性と話し、その物語の続きとして、その物語の続きに、すなわち日本の歴史の一部に、僕と彼女が居るのだ。
一葉「佳山くんは、神話を信じていますか?」
 唐突に、彼女は僕にたずねた。僕は、単純に驚いた。彼女は、何を意図しているのだろう?
智樹「信じているかって、どういうことですか? 信じているわけ、ないじゃないですか・・・。」
 僕は、言った。声が、わずかにかすれていたと思う。
一葉「私は信じています。」
 そう、彼女は言った。彼女は、何を言っているのだろう?
智樹「信じている・・・って・・・・・・。」
一葉「“信じる”という言葉は、何を意味しているのでしょうね?」
 彼女は、僕にささやく。これは、悪魔の言葉かもしれない、と、僕は思った。
智樹「何を・・・言っているんですか?」
一葉「“信じる”という言葉の意味は、多義的です。おそらく私の言う“信じる”と、佳山さんの言う“信じる”は、異なる意味を持つのでしょう。その違いがどうであれ、私は日本の神話を信じているのです。」
 そう言って、彼女は僕の眼を見つめた。僕はいつのまにか拳を握りしめていたことに気づいた。拳を緩めると、手が汗ばんでいることに気がついた。

→ 次ページを読む

1

2

3 4 5 6

西部邁

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

  1. 2015-9-7

    フラッシュバック 90s【Report.1】どうして、今、90年代か?

    はじめましての方も多いかもしれません。私、神田錦之介と申します。 このたび、ASREADに…

おすすめ記事

  1. SPECIAL TRAILERS 佐藤健志氏の新刊『愛国のパラドックス 「右か左か」の時代は…
  2.  アメリカの覇権後退とともに、国際社会はいま多極化し、互いが互いを牽制し、あるいはにらみ合うやくざの…
  3. ※この記事は月刊WiLL 2015年6月号に掲載されています。他の記事も読むにはコチラ 女性が…
  4. ※この記事は月刊WiLL 2015年1月号に掲載されています。他の記事も読むにはコチラ 新しい「ネ…
  5. ※この記事は月刊WiLL 2016年1月号に掲載されています。他の記事も読むにはコチラ 「鬼女…
WordPressテーマ「AMORE (tcd028)」

WordPressテーマ「INNOVATE HACK (tcd025)」

LogoMarche

ButtonMarche

TCDテーマ一覧

イケてるシゴト!?

ページ上部へ戻る