調子のいい40年と調子があがらない40年
それでは、明治維新以降の近代日本の40年を見ていきましょう。以下の表を参照してください。調子のいい40年と調子のあがらない40年が交互に現れているように見えます。
まず、明治維新から日露戦争までは「坂の上の雲」を目指して追い続け、同じように、敗戦からプラザ合意までの40年も「海の向こうの米国」を目指して突き進んできたように見えます。
一方、日露戦争以降、敗戦するまで日本は外交や経済政策がうまくいかず、最終的に敗戦に追い込まれたように見えます。プラザ合意以降の日本、つまり現在の日本ですが、戦後の課題が山積しており、なかなか一筋縄にいかない印象があります。
先ほども述べたように、40年で1つの世代が入れ替わると仮定すると、手の届きそうで届かない目標に対して邁進する世代とその世代からバトンを受けながらもオペレーションをミスする世代に分かれているようにも考えられます。
ただ、見方を変えれば、調子の悪い世代は次の調子のよい時代を支える世代を育てていると見れば、どちらの世代にも一長一短があるといえるでしょう。
20年で区切ることの意味
ただ、人間が1年ごとに年を取るように世代も徐々に入れ替わる訳で、或る日突然に人々が入れ替わるわけではありません。
例えば、敗戦時に20歳だった若者がプラザ合意の時には60歳で、企業によっては定年になります。
明治維新を経験した20歳は日露戦争を期に一線から退いています。児玉源太郎などはまさにその流れに即した人生だったといえるでしょう。
もう少し、細かく見てみましょう。
例えば、1985年に20歳だった若者は2005年に40歳となっています。20年前には消費の対象の若者だった人々が次は、消費されるものを生み出す側に回ります。
では、そのかつての若者たちが生み出すものはどういうものになるか。それは自分たちが経験し、消費してきたものに似通ったものになるのは間違いないでしょう。これがいわゆる「再生産」です。
次の10年、「再生産」される元ネタは90年代にありです。
それでは、次回は「90年代」はどこで始まり、どこで終わるのかというお話をしていきます。
※第2回「フラッシュバック 90s
【Report.2】20世紀のボーナストラックとしての90年代」はコチラ
※本連載の一覧はコチラをご覧ください。
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