金銭至上主義的な思考に落ち込みやすい現代社会
- 2013/12/1
- 社会
- 中野剛志
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急進的に改革したり、破壊するでもなく、現実から逃避するでもない
結局、先の対談でも、先崎さんが言っているように、結局保守とはバランスを取れとしか言いようがないのです。過剰なビジネス社会の価値観を否定しながらも、そのビジネス社会を破壊することも、そこから逃避することも出来ず、ただそこで踏みとどまって生き抜く道を探る、そのような姿勢をとる他ないのが保守の生きる態度なのだと思います。社会学の祖として知られるマックス・ウェーバーは一九一八年にドイツで行った『職業としての政治』という演説の中でこう述べています。
現状はこの歌のようではありません。わたしたちが目の前にしているのは「花が咲き乱れる夏」ではなく、凍てつくような暗く厳しい極地の夜です。(中略)
みなさまは一〇年後にどう感じておられるでしょうか[反動に]憤慨しているでしょうか、俗物になって、世界のありかたと自分の仕事をぼんやりと甘受しているでしょうか。あるいは第三のあり方として(これはそれほど珍しいものではありません)神秘主義に頼って世界から逃避しているでしょうか。そうした素質のある人や(多くの場合もっと悪いことに)それが流行だと思って真似している人は、こうした道に進むことが多いのです。そのどの人にたいしてもわたしは、次のように結論するでしょう。こうした人は、自分の行為にふさわしい人物にまで、成熟していなかったのだ、現実の世界に、日常の世界にふさわしい人物にまで、成熟していなかったのだ、と。
ビジネス社会の論理をただぼんやりと受け入れるでもなく、その価値観にズブズブにのめり込んで行くでもない、かと言ってそれを破壊したり、急進的に改革するでもなく、その現実から逃避するでもない。ただただ、そのような価値観に染まった現実の世界にコミットしながら、漸進的に改善していこうとするしかないのが保守の道なのです。
保守思想家の西部邁さんは、対談や討論などの中で度々「保守の人間には、現実世界の様々な矛盾を解決するための平衡感覚を保つバランスの術というものが必要なのだ」と述べますが、同時に「しかし、結局矛盾なんてものは乗り越えられないのだ」とも言っています。
これは、言い換えるならば、「乗り越えられない矛盾に耐える忍耐力、精神の強靭性。あるいはそれでも乗り越えようとする意志や活力こそが保守には必要なのだ」ということではないでしょうか。今回は、思想の持ちうる負の側面について説明しましたが、同時にこのような忍耐、意志、そして活力をもたらすしうるものも、また思想なのだということも忘れてはならないと思います。
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