他方、保守の側からすれば、「よき有権者」とは、例えば、次のようにいえるでしょう(上記リンク先の拙コラムからの引用です)。
人は、自分自身だけで存在しているのではない。他者の厚意や、国や地域の伝統文化の蓄積、先人の苦難のうえに今の自分がある。つまり、「おかげさま」で生きている。自分の権利や利害を主張するだけでなく、地域や国のあり方、文化伝統に大いに関心を持ち、さらなる発展に貢献し、次世代へ引き継ぐ義務や責任も負わなければならない。こうした自覚を持つ者こそ、よき有権者である。
こうした類の理想的有権者像に基づく保守の立場からの有権者教育というのも、もっと提案されていいと思います。
ですが、残念ながら、この種の有権者教育の提案は、あまり目にしません。
例えば、「保守」を自認する産経新聞や読売新聞も、18歳選挙権をテーマとする社説をそれぞれ書いていますが、保守の側からの有権者教育の提案は、ほとんどなされていません。
●社説 18歳選挙権 若者が国を考える契機に 『産経新聞』2015年6月18日付
●社説 若者の政治参加を促進したい 『読売新聞』2015年6月18日付
産経新聞は、「国家や社会の一員であることの意識を強く持つ必要がある」と書いてはいますが、これだけでは十分ではないでしょう。
読売の社説は、「リベラル」派の新聞の社説とあまりかわり映えしません。
両者の社説にみられる「保守らしさ」とは、せいぜい日教組の政治介入に対する警戒心を表明しているぐらいだといってもいいかもしれません。
「リベラル派」の提案だけでは、「有権者教育」のごく一部だけしかカバーできません。「有権者教育」が、一面的なものとなってしまう恐れがあります。保守の側も、有権者教育のあり方を積極的に提案していくべきです。
しかし、産経と読売の「有権者教育」の社説にみられる「保守らしさ」が日教組に対する警戒心だけというのは、少々さびしいですね。
(´・ω・`)
他の面でもそうですが、日本の「保守」は、たんなる反サヨクになってしまい、保守としての役割を十分果たしていないのではないかと懸念してしまいます。
だらだらと失礼しますた…。
<(_ _)>
施光恒(せ・てるひさ)@九州大学
『三橋貴明の「新」日本経済新聞』より
経済評論家・三橋貴明が責任編集長を務める日刊メルマガ。三橋貴明、藤井聡(京都大学大学院教授)、柴山桂太(滋賀大学准教授)、施光恒(九州大学准教授)、などの執筆陣たちが、日本経済、世界経済の真相をメッタ斬り!日本と世界の「今」と「裏」を知り、明日をつかむスーパー日刊経済新聞!
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