集団的自衛権と憲法改正(その2)

 言いたいことの二つ目。
 前回、日本の憲法学者の大半は、日本国憲法を不磨の大典、金科玉条のように絶対視した上で、ある法律が合憲か違憲かをめぐって「学問的」詮索をしているが、それは滑稽であり、仮に違憲であるからと言って、そのこと自体が政治的判断の適切性如何にただちに影響を及ぼすものではないという意味のことを書きました。
 するとタイミングよく、前回の論考と今回との間に、テレビ朝日の「報道ステーション」が、憲法学者151人に対するアンケート結果なるものを公表しました。現在審議が進められている安保法制は、合憲か違憲か。なんと合憲と答えた憲法学者はわずか3人で、146人が違憲または違憲の疑いありと答えたと。
 この報道はセンセーションを巻き起こし、国会審議で民主党を中心とする野党を勢いづかせました。しかしこれは小学生でもわかることですが、この質問は、集団的自衛権やそれを盛り込んだ安保法制が、ただ形式的に見て「合憲か違憲か」を問うたものです。もともと集団的自衛権をいま日本が持とうとすることが政治的に見て適切かどうかを問うたものではありません。だから、この質問からは、安保法制化を進めることの妥当性の判断は導かれないはずです。つまり、このアンケート自体が、そういう肝心な判断を憲法学者に仰いだものではないという事実を意識的に隠蔽したところに成立しています。
 それ見ろ、専門家の意見で違憲と出たぞ、だから集団的自衛権などを認めてはいけないのだという方向に国民を誘導しようとしているのですね。いかにも護憲派に媚びるしか能のない朝日系がやりそうな、屁理屈による見え透いたトリックです。
 復習しましょう。

 日本国憲法第9条2項:前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 言葉の形式だけ見れば、何しろ交戦権を認めないのだから、集団的自衛権は違憲に決まっているのです。そればかりではありません。1項では「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とありますから、個別的自衛権さえ認められていないのです。個別的自衛権の行使とは他国の侵略に対する防衛ですから、「国際紛争を武力の行使によって解決」しようとすること以外の何ものでもありません。さらに「その他の戦力は、これを保持しない」のですから、自衛隊の存在も明白に違憲です。
 憲法学者は正しい! でも個別的自衛権や自衛隊の存在を認めている(らしい)憲法学者は間違っている! これまで憲法学者はこの間違いを自ら認めてきたのか。あるいは認めていたなら、なぜその間違いを糺すべく闘ってこなかったのか?
 さてこれも小学生でもわかることですが、Aという規則があり、それにまったく合わない現実Bがある。どっちを選ぼうか。頭の硬いX君は何があってもAを絶対守るべきだと考え、頭の柔らかいY君は、まあAがあるにはあるが、この規則を守ると下手したら自分の命さえ危ないかもしれないから、Bをよく見て尊重することにしようと考える。それにさあ、友達が闘ってるのに、何にもしないで指くわえてるのってやっぱカッコ悪いじゃん。ぼくはBにしようっと。――どちらが賢い方法か、答えは明らかですね。
 よくご存じのとおり、こうして日本国憲法に書かれた原則はわずか数年で崩れ、わが国はそのあとずっと解釈変更という名の、よく言えば「世渡り術」、悪く言えば「ゴマカシ」を続けてやってきたわけです。
 そして今回の安保法制化です。(その1)でも述べましたが、これが、隣国の脅威に対処するためにアメリカとの同盟関係を再確認しておく必要と、東アジアの安全保障をアメリカにばかり頼れなくなった事情に鑑みて、自主防衛および友好国との協調の気概を対内的・対外的に示しておく必要とから出てきたものにすぎないことは明らかです。その限りでこの「解釈変更」は適切な(まだまだ不十分な)ものですが、しかし繰り返すように、日本国憲法の文字面からはもはや大きく逸脱していることもまた明らかなのです。
 ちなみに、先の大戦の戦勝国が作った国連憲章第51条では、加盟国の集団的自衛権が認められていることはみなさんご存知ですね。日本は敗戦国ですが、国連加盟国ですから、加盟国の一員であることを重んじるなら、当然、その見地からは、集団的自衛権を認めてよいことになります。今回の安保法制化には、戦後の世界体制を容認してその国際常識に合わせようという意味合いもあるわけです。日本の左翼は国連尊重を言うくせに、この点だけは、自国の憲法の方が優先するのだと言い張ります。自分の国さえ安全なら(しかもアメリカに守ってもらえるなら)、他国のことなど知ったことではないとでも言いたげな、ずいぶん勝手な言い分ですね。
 だから? 論理的必然としてY君の考えを延長させ、規則Aを変えましょうということになりますね。
 それならいっそ、自民党も「ゴマカシ」はもうやめて、「ああ、違憲だとも、違憲で何が悪い。憲法の方が間違ってんだからそっちを変えればいいじゃねえか」と啖呵を切って、早いとこ改憲に取り組めばよい。私ももちろんそう思いますが、しかし、立法府である国会という場では、現行憲法のもとで立法措置を講じなくてはならないのですから、どうしても「この法律は合憲です」と突っ張って見せる必要があるのですね。それが現在の政権のディレンマです。合憲説を唱えた憲法学者は、憲法学界での孤立に耐えて、そのあたりの苦しさに寄り添ったというべきでしょう。
 再び復習。

日本国憲法第98条1項:この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律(中略)は、その効力を有しない。

 さて、これからようやく本題に入るのですが、もうだいぶ字数を費やしてしまいました。
 私自身はじつは「憲法改正」ではなく、あくまでも新しく編まれた「自主憲法制定」でなければならないと考えています。しかしこれはいわば思想的な理念としてであって、そう簡単に実現するわけではありません。また、どういう形の自主憲法が現在およびこれからの日本にとってふさわしいかという問題を扱うためには、いろいろなことに触れなくてはなりません。さらに、では現在、自民党などが出している改正憲法案についてはどう考えるのか、という問題も論ずるべきでしょう。
 とりあえず言っておくと、自主憲法制定を追求するからと言って、現行憲法の改正という駒をまったく捨てたわけではありません。できるだけ速やかに、かつなるべく多くの国民の合意を得やすい形で改正することが必要だろうと思っています。それがどうあるべきかについても、自分なりのアイデアがあります。ですから、自主憲法の草案を練る作業と、現行憲法の改正案を提示する作業との二刀流で行くのがよいだろう、というのが現段階での私の考えです。これらについて、回を改めて論じることにしましょう。

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西部邁

小浜逸郎

小浜逸郎

投稿者プロフィール

1947年横浜市生まれ。批評家、国士舘大学客員教授。思想、哲学など幅広く批評活動を展開。著書に『新訳・歎異抄』(PHP研究所)『日本の七大思想家』(幻冬舎)他。ジャズが好きです。

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コメント

    • 岡部凜太郎
    • 2015年 6月 26日

    小浜先生、記事拝読しました。
    オルテガが「大衆の叛逆」を書いて70年余り経ちますが、最早、大衆の簒奪とさえ、言える現下の状況は甚だ私としても不愉快に感じてしまいます。生まれた時から主権者という地位を得られる時代ですから、それも当然の帰結とも言えるかも知れませんが、俺様民主主義とも言える日本でどのようにして国体を護持するか、これは我々に課せられた極めて重大な義務とすら言えるでしょう。

    憲法学についても我が国では終戦直後までは佐々木惣一博士や美濃部達吉博士など、国体としての憲法を基礎において憲法論議を進めていた憲法学者の方もおられましたが、今では国体、シラス、ウシハクという帝国憲法の思想は見る影もありません。その代わり「人権」「平等」そんな言葉が念仏の如く唱えられる憲法学という学問の現状には違和感を感じざるを得ません。幸い、圧倒的少数派とはいえ、国体という意識を明確に持った学者の方がおられるので、そのような方が増えることを願って止みません。

  1. 岡部凛太郎さん。

    さっそくのコメント、ありがとうございます。おっしゃる通りと思います。

    日本のこれからの憲法問題を根本から考えるにあたっては、少なくとも、次の3点を何とかしないといけないと愚考しております。

    ①すでに岡部さんご指摘のとおり、「国民主権」という西欧由来の概念を自明のものとせずに、日本の国柄に合った憲法の精神を打ち出す。

    ②現憲法の「改正」という観念にとらわれず、むしろ帝国憲法の優れた点を受け継ぎ、発展させる。

    ③憲法とは国家権力の拡大を抑えるための国家への命令であるという、いわゆる「立憲主義」を憲法の本質と考える通り相場の考え方(宮台慎司など、日本製リベラルが得意げに吹きまわってきました)を根底から見直す。

    最後の点については、こういう考え方を「立憲主義」と呼ぶのは、そもそも語法としておかしいですね。戦後民主主義イデオローグが、この言葉の正当な概念を捻じ曲げて、自分たちに都合のよい中身を注ぎ込んだ結果だろうと思います。こういう操作を行っておくと、現憲法に少しでも異を唱える者に対して、「お前は立憲主義を否定するのか!」といった恫喝が大きく効いてしまうわけです。

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