現代人はインターネットメディアと如何に付き合って行くべきか?
- 2013/9/28
- 社会
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物事や状況の価値判断能力の衰退を招いたヴァーチャルコニュニケーション
しかし、その後のTwitterやFacebookの流行は、このようなネットとリアルが地続きとなっていたようなコミュニケーションのあり方に変化を及ぼします。ありていにいってしまえば、現実の世界では一度も関わったことのないような人たちとの繋がりが急激に増加し、これによって、多くの人にとって、現実のリアルなコミュニケーションから隔離された、ヴァーチャルなコミュニケーション空間が発生することになります。政治の問題や時事的な問題についてTwitterでツイートした際に、全く知らない人から突然返信をもらうなどという事も頻繁に発生するようになったり、あるはネットでコミュニケーションしている人達のほとんどは実際には一度もあったことがないという人ばかりなんて人も増えてきます。仮に、このような現実の世界では一度も会ったことがないような人たちと交流する場をヴァーチャルなコミュニケーション領域と呼ぶことにすると、前回の記事では、このヴァーチャルなコミュニケーション領域の拡大が現実世界でのコミュニケーションを縮小させ、それが個人と社会との関わりを減らし、そのような状況が、物事や状況の価値判断の能力のもととなるコモンセンス(常識 良識)の衰退を招いてしまう可能性があるのだと説明しました。
果たして、このような事態を改善するにはどうすれば良いのでしょうか?一つ考えられるのは、やはりヴァーチャルなコミュニケーション領域を縮小し、現実世界での人と人との交流の機会を増やすことです。具体的には、例えばネットを使う時間を減らして、その分の時間やエネルギーを友達や家族、恋人といった人たちと過ごす事に費やすということです。
もし、それが難しいような場合であれば、他に考えられるのは、もう一度リアルな世界のコミュニケーションとヴァーチャルな領域のコミュニケーションとを重ね合わせることでTwitterやFacebookが流行する前の時代のようにこの二つのコミュニケーションの間を地続きにすることです。具体的には、ネット上で交流している人たちとオフ会などのイベントで実際に会って積極的に交流すること、例えば、現在Twitterで政治的な意見を交換している人たちがいるなら、勉強会を開催して実際に会って議論を交わしたり、あるいはどこかの先生が開催しているイベントがあれば積極的に「一緒に、こちらのイベントに参加しませんか?」と声を掛けてみるのも良いでしょう。
mixiが流行していた時期、多くの人はリアルの血の通った人間関係を補完するツールとしてネットを利用しましたが、今度は逆にネットで交流していた人たちと現実に顔を合わせてみることでそのヴァーチャルなコミュニケーションの中に血を通わせることが出来るかもしれません。
テキスト情報の交換は言語的な情報のやりとりでしかありませんが、お互いにその人柄を知ることによって、そこに非言語的な情報が加わります。例えば、「バカ」という言葉一つ取ってみても、その人の人柄、性格、あるいは自分とその人との関係性の中で全く違った意味を持ってきます。言語的には同じ「バカ」というメッセージであっても、恋人や友人に愛情や親しみを込めて言う場合と、大嫌いな人間や、軽蔑して見下している人間に憎しみや敵意を込めて言うのとでは全く意味が変わってくるでしょう。しかし、ネット上のテキスト情報のやりとりだけでは、そのような意味の違いを判別することは非常に困難です。しかし、実際に会って話をしてみることでお互いにお互いの人柄を知り、関係や関わりを深めていく中で、無味乾燥した言語的メッセージに限定されるテキスト情報の交換から成り立つヴァーチャルなコミュニケーションから、より豊かな意味や内容を含んだ、つまり血の通ったコミュニケーションへと近づくことができるかもしれません。また、そのようなヴァーチャルなコミュニケーションをよりリアルなコミュニケーションとの関係性を強めていけるよう変えていくように努力することがインターネットの持つ負の側面を緩和するための一つの有効な手段になるのではないでしょうか。
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コメント
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その通りだ!!(T_T)今は便利に為っただけで時価に行動すること、経験、体験する事の意味、夢や希望は行動に移してこそ意味があると言う事だ!!(T_T)昔は今みたいにインターネットも無いから調べる事も出来ない上に考えて人は行動に移した者だ!!(T_T)便利はやがて崩壊する末路とも言われて居るのだ!!(T_T)人は何かを為し遂げる為に努力や行動に移さないと行けないとも言う事だ!!(T_T)便利の弊害はやがて世界中にやって来ると思いますよ!!(^_^)