伊集院病棟へようこそ?―ドクター非モテの非モテ教室(その六)
- 2015/4/14
- 文化
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夢は信じていれば叶う!(希望)
妹:伊集院はこの「自ギャグの詩」の主旨を繰り返し、「自分の過去のトラウマを語って、ネタにしよう、笑ってもらおう」というものであると説明しているの。
助手:トラウマ暴露大会、ってワケ?
妹:そうね……事実、このコーナーのオチでは、投稿者が(葉書に書いた事件をきっかけに)「伏し目がちの人間になった」、「ネガティブという言葉が似合う人間になった」とか書いていることが多いの。
博士:せ……精神分析学が正しいと申すか?
妹:別にそこまでは言わないわよ。逆に彼らが「トラウマ体験が性格を作るといった、精神分析学的人間観を引き寄せて、そのような解釈をしてしまってる」とも取れるわ。
でも、このコーナーにおいて、伊集院はそうしたトラウマを笑いに「昇華」することで、乗り越えさせようと試みている。
そして――ここまでで充分劇的なんだけど、この一ヶ月後、同コーナーで更に衝撃的な投稿が紹介されるわ。『小学四年生』に「ワープハットで行ったり来たりの巻」が載った、という――。
博士・助手:な、なんだってーーーーーっっ!!??
妹:この放送を、当時『ザ・ドラえもんズ』*2を連載していた漫画家さんが聞いていたの。それで、本当にそのエピソードを描いてしまったのよ。
助手:( ;∀;)イイハナシダナー
妹:十数年の時を超え、嘘から真が出ちゃったわけね。この漫画家さんはこの件を、「供養みたいなものだ」と表現していたの。そう、まさに「自ギャグ」は子供の頃の自分を「供養」するためのコーナーだったと言えるわね。
博士:ふむぅ……一応、お前さんの言いたいことはわかったが、それと冒頭の「三人くらいで流行ったブーム」は何ら関係がないではないか?
妹:わからないの?
助手:わ……わからないよ……。
妹:伊集院は、そして伊集院リスナーの多くは、「大人びた子供」だったの。
博士:だから?
妹:だからこその、「幼児プレイ」よ。伊集院リスナーは、「まだ遊びたい」の。「大人びた子供」が成長して、「大人びた自分を自覚し、そのリミッターを外す機知を身につけた」から、「また遊ぼう」としている。それが、伊集院のラジオなの。
助手:「子供の頃のリプレイ」による癒し――まあ、萌え文化が「青年期のリプレイ」なのに近いよね。
博士:待て待て! 最後の方、ちょっと結論を急ぎすぎておるぞ! その「大人びた子供」云々の証拠、出してもらおうか!
妹:そうねえ……この「自ギャグ」コーナーを聞いていくと、そうした子供時代を述懐するものが頻出するんだけど……。
博士:それはまた、また次回、というわけじゃな?
妹:作者のエロゲームのスケジュール次第ね。
助手:だから、そういう作者の恥を強調しなくても……。
*1 今回もコーナーネタなどについては「深夜の馬鹿力データベース(http://ijuinmania.blog84.fc2.com/)」などを参考にさせていただきました。
*2 1998年当時、藤子・F・不二雄先生は既に他界。『ドラえもん』の番外編漫画とも言うべき『ザ・ドラえもんズ』が元・アシスタントの筆で連載されていました。「ワープハット――」はこの投稿の放送日から類推するに、98年10月号に載ったものと想像できます。
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