宮崎駿アニメの構造〜ちぐはぐをつなぎ合わせる「動き」〜
- 2014/11/4
- 文化
- ジブリ解説, 宮崎駿
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5)まっすぐな時間
宮崎は、回想シーンや過去に遡るシーン、ストップモーション、スローモーション等を挿入することによって、物語の時間軸の流れを乱すことを避けているという(注5)。それは先に見たように、宮崎アニメにとって時間が物語の原動力かつ方向性であるならば、当然のことと思われる。そして、この時間軸上にある「過去」が、両作品を最初から方向付けていた位置に据えられるのも頷ける。その「過去」を、以下に見ていくことにしよう。
千尋は湯婆婆に名前を奪われ、湯屋で働かされることになり、ハウルは、場所ごとに複数の偽名を使い分け、面倒なことから逃げ回る生活を送っている。
千尋はハクに、名を奪われると帰り道が判らなくなるから本当の名前はしっかり隠しておくように注意され、ハウルはカルシファーに、あまり変身をしすぎると元の姿に戻れなくなると助言される。
両者は自分の本当の名前をなくすことで、自分の居場所はもちろんのこと、自分自身を失いかけている。
そして、ここでいう自分自身とは、現在にも重要な影響を与え続けている過去の記憶であることが後に明らかとなる。つまり、千尋はハクと以前に一度出会っていたことを思い出し、その見出された記憶から奪われていたハクの本当の名前も明かされる。ソフィーもハウルの過去に赴いたことでカルシファーとハウルの契約内容を知り、ハウルの奪われていた心を取り戻す。この点で両作品に共通している核の部分は、他人と契約を交わすことは自己を失うことであり、その契約を解くには、答えが隠されている過去の記憶が必要だということである。過去の記憶によって千尋とハク、ソフィーとハウルはつながっていく。
細部を継ぎ足し膨らませることでストーリーが出来ている宮崎アニメにとって、一本筋の通った「時間」は、ばらばらな作品内要素間の最も重要なつなぎである。この時間軸上にある「過去」が、先に見たようにキャラクター間のつなぎになっていることは偶然ではない。つなぎである「過去」は、キャラクターの本当の自己であり、キャラクターの魅力である。つまりは作品の魅力として、観る者を意識させる。作品鑑賞中はほとんど意識されることのないように作られている宮崎アニメの「時間」が、瞬間的に見出される「過去」によって意識されるとき、空中浮遊する千尋とハクの目の輝きのように、あるいはソフィーとハウルの秘密の庭の清々しさのように、何か突き抜けたものを私たちに感じさせる。
千尋が思い出す過去のコハク川の水中と、ソフィーが前に来たことがあるという秘密の庭は、宮崎アニメの特徴である「動」とは対照的な「静」(停止ではない)によって表現されている。過去が逆流する瞬間、時間は逆説的に断絶によって意識されているのだ。この「静」なる時間によって宮崎アニメの「動」はしっかりと裏打ちされているからこそ、類稀なる今ここで起きているというアクチュアリティを獲得しているともいえる。
注
(1) DVD『宮崎駿とジブリ美術館』より(西川正也「失われた起承転結:『ハウルの動く城』」より孫引き)
(2) 『ロマンアルバム ハウルの動く城』125P(西川正也「失われた起承転結:『ハウルの動く城』」より孫引き)
(3) 切通理作『宮崎駿の〈世界〉』18~19P
(4) 日下部正哉『宮崎駿という運動』「動画のアウラ」の章
(5) 切通理作『宮崎駿の〈世界〉』285P
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