文化が失われるということ ー 英語に掻き消されていくフィリピンの面影
- 2014/6/23
- 文化
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私が70年代にフィリピンのマニラで生まれたとき、うちの親が私に英語の名前を付けようとしました。それを聞いた祖父が母に「なぜわざわざ英語の名前を付けるの?スペイン語の名前にしなさい!」と、文句を言ったそうです。フィリピン人の大半は、スペイン語の名字を持っています。ファーストネームもスペイン語が普通でしたが、私が生まれたころ、名前の「英語化」が進んでいたようです。うちの両親もその流行に乗っていました。うちの親は結局、「保守的」だった祖父のアドバイスを無視して、私に英語の名前を付けたので、私のフルネームは英語とスペイン語が混ざっています。
母語は遠くなりにけり
アメリカの「属国」である我が国フィリピンの英語化がますます進みました。私が子供のころ、家ではフィリピン語を話し、学校では教育を主として英語で行われていました。ところがある日、気が付いたらうちのいとこの家では英語で話すようになっていたのです。私の親戚がいつの間にか家族の言語を英語に切り替えたようです。いままでフィリピン語で喋っていたいとこたちがいきなり英語で喋るようになりました。子供だった私は、流石にこれは変だなと思いました。しかし、家庭の言語を英語に切り替えた親戚は、英語化の流れが進んでいた格差社会のフィリピンで「勝ち組」となるためにはそうせざるを得ないと思ったのかも知れません。
あれから私は来日して、やがて日本人女性と結婚し、子供に恵まれました。うちの家族では日本語を話します。子供たちの母親(つまり私の妻)の母国語が日本語だからです。子供たちを「バイリンガル」で育てることを敢えて避けてきました。なぜなら、バイリンガルで育てようとしたら母国語が中途半端になってしまうかも知れないからです。母国語も外国語も両方話せる「バイリンガル」な人は、実は母国語も外国語も中途半端にしかできないという人が少なくないようです。外国語は母国語をマスターしてから学べば良いと思っています。ちなみに、うちの子供たちには、日本語のファーストネームを付けました。
ところが、フィリピンにいた私の弟も妹も、やはり英語化の波に逆らえなかったようです。弟と妹は私と話すとき、今まで通りフィリピン語で話しますが、子供たちとは英語で話します。ですから私の甥っ子と姪っ子は、フィリピン語より英語の方が話せるのです。私も仕方なく、甥っ子と姪っ子には、英語で話さざるを得ません。全体的にはおそらく、私の世代のフィリピン人の家庭においてはこうした英語化が進んでいるのだと思います。私はフィリピンの文化がいったいどうなってしまうのかと心配しますが、植民地時代が長かったフィリピンの多くの国民は、英語化やグローバル化が「自然の流れ」だと思っているでしょう。ここまできたら、守るべき伝統や文化はいったいなんなのか、分からなくなってしまいます。
言葉を失うこと それは重篤な危機である
英語化はフィリピンに何をもたらしたでしょうか。簡単な答えはないと思いますが、すくなくとも英語化によってフィリピンが経済的に発展できたとは言えません。人口1億人ぐらいのフィリピンの経済全体は、GDPで見ると人口7百万人の埼玉県と同じ規模なのです。発展どころか、フィリピンの英語化は結局、フィリピンの発展の妨げになっているのだと思います。国全体が発展するにはやはり、国民が母国語で教育を受け、知識を共有することが前提だと思います。英語化や英語の公用語化を実施しても、英語を高いレベルでこなせるようになるのは一部の「エリート」のみであって、しかもそのエリートが国民のことを考えるより、外国企業などの「手先」と化してしまうことがあります。
日本においても「英語化」や「グローバル化」があたかも歴史の必然だという空気が漂っているように見えます。英語が喋れるようになった方が「有利」だと思う人が多くなってきたような気がします。しかし、外国に行く人や翻訳業に就きたい人などを別として、一般の日本人には英語は必要ないでしょう。しかし現状として日本政府が率先して、教育などの英語化を推進しようとする向きになってきました。そんなことをするならフィリピンの事例を見てほしいのです。以前にもこの媒体で書いたことがありますが、フィリピンはもっとも「グローバル化」、つまり「アメリカ化」してきた国のひとつです。日本で英語化を推進するにあたって、フィリピンがどうなってしまったのかを参考にしていただきたいと思います。
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