自滅の道を歩む政策の数々
- 2014/4/14
- 経済
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フィリピンには「母国語」が辛うじて残っているものの、400年ぐらいもの間、スペインやアメリカの植民地支配の下にあったため、学問やビジネスの場では英語力も必要なわけです。それは、例え外国人がいなくても、フィリピン人同士が英語でコミュニケーションをしなければならないことがあります。何せ、大学の授業が英語で行われているケースが多く、英語でなければ専門的な知識を表現することが難しく、論文などの学術的な文章は英語で書かざるを得ないのが一般的な状況です。
英語公用語化のメリット?
ということで、母国語で高等教育を受けられ、母国語で学問を探求できる日本人が羨ましいと思います。ですから、最近の「大学授業の英語化」だの会社の「イングリッシュナイゼーション」だの、あたかも母国語の日本語だけでは日本人が生き残れないかのような「空気」が日本社会に広がりつつあることにうろたえてしまいます。日本の皆さんに、そんな「自虐的」な発想を捨て、日本語や日本の文化にもっと自信を持って、それらをもっと大切にするようにと、切に願っています。
フィリピンは、外国によって植民地化されてしまったため、色々な意味で外国に依存するようになってしまったのは、ある意味で仕方がないことです。一方、日本は外国の植民地になったことはなく、独自の文化や思想や産業や制度などを作ってきたわけです。なのに、日本社会に色々と「自虐的」な考え方が蔓延しているようです。何者かが、日本人に自信を無くさせるように働いているような気がしてなりません。
人口1億人程のフィリピンの経済は、人口700万人の埼玉県のと同じ規模なのです。フィリピンは、産業が発達しておらず、フィリピン人が働いて所得を得る機会が足りないことが伺えます。仕事がないから田舎からマニラなどの都会に行って、メイドやナニーとして働く女性が多いのです。また、多くのフィリピン人が海外へ出稼ぎに行かざるを得ません。その中に、外国でメイドやナニーとして働いているフィリピン人女性が多くいます。これはフィリピンにとって思わしくないことであり、海外へ行かなくてもいいように、またメイドやナニーとして自分の国で働かなくてもいいように、国内の産業化や農業の活性化が喫緊の課題であります。
「女性の社会進出」は低賃金労働者を生み出す
一方、日本の場合、先進国なりに産業が発達しており、女性がメイドとして働いたりする必要もなく、日本国民の多くが「中流意識」を共有しています。羨ましい限りです。フィリピンもいずれ、日本のような社会になって欲しいと思っています。とはいえ、日本において最近、気になる動きが色々あります。
安倍政権は、「成長戦略」を検討しているところですが、その中に「海外からの投資を呼び込む」や「外国人の活用」という提案が出ています。これもまた、「日本人だけではだめ。外国人に助けてもらわなければならない」という「自虐的」な発想も入っていると思いますが、安倍総理ご自身が、女性が「市場の主人公」になるため、「外国人のサポート」が必要だとおっしゃっています。
<参考>
http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/0122speech.html
これを聞いて私はショックを受けました。「外国人のサポート」とは、要するに、フィリピンのような国から女性を日本に来てもらい、日本で低賃金のメイドやナニーとして働き、日本人の奥様が家庭を彼女たち外国人に任せて出稼ぎに行けるようにする、ということなのでしょうか。これはフィリピンにとっても日本にとっても決していいことだとは思えません。しかも、失業者や生活保護受給者が多い今の日本で、そうやって「社会へ進出」する女性は、「キャリアウーマン」というより低賃金の「テンポラリースタッフ」とかになるだけではないでしょうか。
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