2013年10月18日NPO法人「自殺対策センターライフリンク」は就活生の21%が自殺を考えたことがあるという調査を発表した。
「社畜」という言葉
私は現役の大学生であるが、周りの就活状況は散々たるもので、特に女性の就職は厳しいものとなっている。また、仮に就職したとしても、過酷な労働を要するブラック企業かもしれないという不安は一部の若者が抱くものでは無くなってしまった。近年、そのような企業に勤めて、苦しむ人間を指す言葉として「社畜」という言葉が使われている。先日、台風26号が接近した際に定時出社のため都内のホテルへ泊まる人が多く見られたことを受け、SNS等ではその「社畜」っぷりを揶揄したコメントが注目を浴びた。しかし、なぜ現代人は仕事に熱心な労働者を「社畜」と罵るのであろうか。我々は、そもそもNHKの「プロジェクトX」で特集されていたような仕事に全てを捧げる人間に、「社畜」というマイナスのイメージを抱かなかっただろう。むしろ、尊敬の念を抱いた。仕事に徹する輝いた存在という一種の英雄視が見られた。それでは、そのような労働者の輝きはどこに消えてしまったのだろうか。
ケインズの予想
経済学者であるケインズは「孫の世代の経済的可能性」という評論の中で2030年に訪れるであろう社会を予想した。この評論によれば、2030年の社会では技術の効率が急速に高まることで労働力を吸収出来ない「技術的失業」という病が蔓延するだろうと述べられている。そこでは、物質的な豊かさの代償から、伝統的な仕事にも見放され、社会からの経済的必要性からも要されないことで、特殊な能力を持たない普通の人間がノイローゼを患ってしまうとケインズは危惧した。世界を股にかけて活躍する経営者が発言力を持ち、その一方で世界的に失業が問題となっている現代において、非常に的を射た意見だと理解することが出来る。さらにケインズはこの段階での解決策として「パンをできるかぎり薄く切ってバターをたくさんぬれるように努力するべきである。つまり、残された職をできるかぎり多くの人が分け与えるようにすべきである。」と述べている。しかし、ここで一つの問題が生じている。この解決策は効率性を求めてきた戦後の日本人の価値観と全く合わないということである。おそらく、このような解決策を今、経営者や労働者に聞かせても、「そんなことでは企業がつぶれてしまう」という返答が返ってくるだろう。長年仕事をしてきた人間にこの策が理解されることはありえない。なぜなら、非効率を是とするケインズの解決策は、市場経済による競争のなかで効率性を高めてきた労働者、つまり、自分の存在、人生を否定することにつながってしまうからである。
新たな価値観の前兆
だが、このような自己否定とも言える価値観へ変わっていくかのような前兆は実際に起きている。トヨタ自動車の社長である豊田章男氏は2011年5月の決算会見で「トヨタは日本で生まれ育てられたグローバル企業であり、日本でのものづくりにこだわりたい」と述べた。その発言に対し、隣席に座る財務担当副社長の小澤哲氏が「日本でのものづくりは一企業の努力の限界を超えているのではないか」と切り返した。公の場で社長と副社長の意見が対立するという異例の事態は今でも語り草になっているそうである。豊田章男氏は日本での生産にこだわる理由を次のように述べている。「自動車各社が年100万台の生産を海外に移転すると、雇用が22万人失われる。(だからこそ、)。石にかじりついてでも、国内で300万台の生産を維持する。」
この発言は大変重要な意味を持つだろう。なぜなら、日本のトップ企業の社長が、企業の目標が利潤ではなく雇用であることを明言したのである。これは効率性を追求してきた企業の価値観が変わる第一歩と取れるのではないだろうか。
これからの価値観
価値観というのは技術革新と同じで、マグマのように溜まったものが噴火するように、ある時点から急激に変化するものである。民主党が第一党になるような日本では、それはより急激に、そして容易に変わるものと言えるだろう。そのように変化を遂げたものが良いものとなる保障はどこにもない。しかし、その変化によってもたらされる価値観が、労働から解放されることに希望を持つことの出来る形態であれば、技術的失業という病は完治し労働者は社畜から英雄に戻ることになるだろう。インフレをデフレに変えることすら20年出来ていない日本であるが、2130年、私の孫の世代が、2030年、私の世代を「労働に苦しめられた最後の世代」と憐れむような価値観に変わっていれば、それは素晴らしいことである。
コメント
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世界の労動の潮流は労働時間をどんどん削減する方向へ動いてるというのが常識なのですが・・・
労動だけが生き甲斐というのはなんとも狭い価値観ですね