この記事は月刊WiLL 2014年11月号に掲載されています。他の記事も読むにはコチラ
朝日批判は因果応報
朝日新聞の木村伊量社長は社員に向けたメッセージのなかで、
《「慰安婦問題を世界に広げた諸悪の根源は朝日新聞」といった誤った情報をまき散らし、反朝日キャンペーンを繰り広げる勢力に断じて屈するわけにはいきません》
と書いた。
朝日批判への敵意に満ちた文章だが、いま慰安婦問題に関して朝日批判をしている人たちの心情は、まさに「日本軍が国をあげて女性を強制連行し性奴隷にした、といった誤った情報をまきちらし、反日キャンペーンを繰り広げる勢力に断じて屈するわけにはいかない」というものだ。
だが、朝日はそのことがまるで理解できていないらしい。
戦後の朝日新聞は「戦中の日本がすべて悪かった」とする「日本悪玉論」を展開し、「戦中の日本は間違っており、大勢の人の命を奪い、女性を凌辱した」と書いた。そして「空襲で街ごと焼かれ、最後は原爆を落とされた」と、あたかもそれが〝報い〟であるかのように書いてきた。
さらに「日本は戦後も時折ツケ上がって、『あの戦争は正しかった』などと言い出すので反省が足りず、油断できない。日本の『悪の息の根』は止まっていない。〝報い〟は終わっていない」と書き続けた。それが今度は「朝日新聞悪玉論」となって降り注いでいるにすぎない。因果応報、自業自得だ。
朝日新聞は「自虐史観」だと言われてきたが、これではどうも朝日新聞の立ち位置は説明しきれない。現に、慰安婦報道や吉田調書報道などで「いくら自虐と言っても度を越している。なぜ朝日はここまで日本を貶めるのか……」という疑問の声は各所で上がっている。
自虐とは〈自らを責め立てるさま〉(デジタル大辞泉)だが、朝日新聞が日本を批判する時、そこに朝日新聞は含まれていないように思う。
朝日新聞が日本──特に戦時中の行いや、朝日的に見れば戦時中を連想させる右傾化、軍国主義の台頭などの問題──について書く時、朝日は自らの立ち位置を日本の外に置いて、そこから日本を批判している。だから日本を批判する時、朝日の論調からは「自らも責め苦を負う」という感情が感じられないのだ。
その思いを強くしたのは、九月六日の朝日新聞の社説だ。日本のヘイトスピーチに対し、国連人種差別撤廃委員会が勧告を出したことを受け、こう書く。
「誇りある日本国民として恥ずかしい」「日本人としてやめなければならない」という物言いにも違和感を覚える。差別を受け、恐怖を感じている被害者への視点が抜け落ちてはいないか。安倍首相は国会でヘイトスピーチについて「他国の人々を誹謗中傷し、まるでわれわれが優れているという認識を持つのは全く間違い」と述べた。 「日本人の誇り」の強調は、そのような間違った認識を助長することにつながりかねない
以前にも朝日は天声人語で道徳教材に関し、
「日本人としての自覚」「我が国を愛し発展に努める」といった記述に、ふと立ち止まる。食事中に砂粒をんだような感じがする(一四年三月七日)
と書いている。
朝日に任せていては「日本人として誇らしい」などの物言いも、ともすればヘイトスピーチとされかねない勢いだ。自社の不祥事に「朝日新聞記者として恥ずかしい」などと言っているのとは大違いである。
朝日のなかには、自社への批判を「外部の敵からの攻撃」と感じ、木村社長の九月十一日の釈明会見は「朝日の9・11」であり、あたかも自らをテロの犠牲者の如く述べた幹部もいる。
これは一体なんだろうか。
コメント
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今まで読んだ朝日批判記事の中で最も的を得た内容で著者の慧眼に敬服する。特にGHQ通達リストを引き合いに出した朝日思想の説明は誰もが納得するしかない。梶井彩子の言論界での今後の活躍を大いに期待する。
全く同感です。
薄々感づいていた事を綺麗に解き明かして頂き感謝します。
尚、朝日は生まれ変わる必要もなく、廃刊こそ妥当だと思うところです。