第10回 産経新聞社からの回答書
- 2014/7/14
- 社会
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この「回答書」の受け入れられない不可解な点
全国の読者は、それを産経新聞の記事として読んだのである。雑誌「正論」の記事として読んだのではない。産経新聞の読者イコール雑誌「正論」の読者でもないはずだ。産経新聞社の社内事情など、読者は一切、あずかり知らない。
それゆえに、新聞記事に関して雑誌の編集長が回答するのはまったく筋が違う。
次に内容だが、最も悲劇的なのは質問(2)の回答である。「外国人労働者の受け入れは、①日本人が加害者になる」、という点について、「これまで弊誌では触れられていない観点」と、回答していることだ。
連載第8回にも書いた通り、筆者自身が『正論』5月号の拙稿186~187頁で触れており、これに「中国の情報戦は始まっている」という小見出しをつけたのは編集長自身だ。
筆者はこの回答に目を通し「これはマズい」と思って編集長にメールを送り、「こんなものを出してはいけない。私は不本意ながらあなたの『敵』の立場に立たされてしまったが、武士の情けで見なかったことにする。こんな回答文は撤回しろ」と差し戻した。
しかし、編集長は「このまま公開して構わない」と言い張る。捨て身で、すべての責任を自分一人で背負い込もうという覚悟なのだろう。彼はそういう、責任感が強い、昔気質の一本気な男だ。一度こうと決めたら梃でも動かない。
彼とのつき合いは、彼がまだ担当だった四年ほど前からだ。2010年11月、彼の前任編集長の就任祝いのときに紹介されたのが初対面だった。
翌年初、「救国内閣」の閣僚名簿をつくるという企画に協力を依頼してきたのが、彼との初仕事だ。その掲載号が発売されて間もない3月11日に、東日本大震災が起きた。それからの数日間、彼とは何度も電話やメールのやりとりをした。その中から生まれ、『正論』5月号に掲載されたのが「菅流“政治主導”が招いた福島原発危機」という論文だ。言うまでもなく、当時は福島第一原発事故の最中であり、菅政権に対する表立った批判ははばかれる雰囲気だったが、拙稿は次のように締めくくっている。
危機はまだ去っていない。国家の非常時に為政者を批判することは、できれば避けたかった。だが、もはや許容限度を超えている。政権運営能力もないのに官僚機構をいたずらに排除し、いざ国家的危機に直面した途端、国家の命運を一民間企業に丸投げし、思い通りにならないと感情を爆発させて怒鳴り散らす。かくも暗愚な政権の存在こそ、我が国を滅ぼす最大不幸の元凶である。 (平成23年3月20日脱稿)
次に彼は、『「脱原発」で大丈夫?』という正論臨時増刊号(2011年7月発売)を企画し、筆者に原稿を依頼してきた。当時も福島第一原発の放射線漏洩が依然として進行中だったから、世間の「反原発ヒステリー」は凄まじく荒れ狂っていたが、筆者は「原子力技術は日本の自立自存に不可欠である」という論文を寄稿した。
時流にあえて逆らったこれらの論文は、彼との濃密なコミュニケーションなくしては生まれなかった。彼との合作だったと言い切ってもよい。筆者にとって彼は、信念を同じくして共に闘ってきた戦友以上の存在だ。
その後、筆者は最愛の家族を果てしない闘病の末に亡くした喪失感から引き蘢り状態となった。その筆者に再び執筆の機会を与えてくれたのは、編集長に栄進していた彼だった。それが本年3月号に掲載された、NHKの籾井会長批判に狂奔する反日マスコミに反撃した「『戦後の番犬』 NHK人事批判を騙り政権転覆工作を為す」という論文だ。『正論』本誌に筆者が寄稿したのは、実に二年ぶりのことだった。
その彼と私が、なぜこんなかたちで対立しなければならないのか? 恩ある彼を窮地に陥れるはめになった筆者は人非人と誹られても甘受するが、運命はあまりにも理不尽だ。
いま残るのは、ただ断腸の思いのみである。
(※注:関岡の一存で個人名は伏せ字とした。)
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