小泉政権を支持した「左派」と「右派」の共有する、ある心情
革新とか改革と聞くと、何か物凄く威勢の良い言葉のように感じますが、実際に世の中で使われている例をみていくと、何か邪魔をしている障害物があるからそれを取り除こうという意味に過ぎず、時間に追い立てられるあまり全体性を欠いた思考しかする暇がなく小手先の変更に終始するというのが実情で、何か積極的な価値を創造していこうとかいう、そういったポジティブな側面は弱いのですね。案外後ろ向きな考えであったりする。
それで、特に日本人は、その日本を悪くするような何かが覆っているから、それを取り払うことで良くしようと考える傾向が非常に強い。それが何かといえば、左派にとっては、封建的なムラ社会の制度であって、また当時の右派にとっては、自由な経済的な取引を阻害し市場のメカニズムを歪ませる各種の規制であったわけです。右派左派ともに、このような邪魔な「何か」を一気に破壊できる絶好の機会として小泉改革というものを捉えた結果として右派も左派も揃って小泉構造改革を大絶賛し、それに対する大した反省もなされないままに、現在の安倍政権の成長戦略へと至っているわけです。
言論の世界では一部、このような改革礼賛に対する反省も起こってはいますが、安倍首相の演説や質疑における様々な発言をみますと…
「もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました」
「大胆な規制・制度改革を実行することで世界で一番ビジネスをしやすい環境をつくる」
というような一連の発言をみると、やはり現実の政治の現場においては、行き過ぎた構造改革や規制緩和に対する反省はまったくもって不十分であると言えるでしょう。
「安倍絶対支持=保守」ではありません
えー、それから、最後に安倍政権に対する評価や知識人の発言に関して、一つ思うことがあります。よく、安倍批判を行った後に、「安倍以外に誰がいるのだ!!」とか「それじゃあ、民主党政権の方が良かったというのか?!」というような反論が返ってくることがあるのですが、これはあまり建設的な意見ではないように思います。
特に、「民主党政権の方が良いのか?!」というコメントについてですが、数年前のことを少し思い出せばわかるのですが、民主党政権誕生させたのって小泉⇒安倍の改革路線の失敗に対するアンチテーゼの姿勢を投票という行動によって表現した結果だったのです。『大転換』を書いたカール・ポランニーも「行き過ぎた市場原理主義的政策の反動として全体主義的なファシズムや社会主義が台頭してくる」という現象について解説しています。つまり、何も皆がお花畑な人道主義やヒューマニズムのみから左翼や全体主義に傾斜するわけではなく、市場原理によって急速に社会の安定性が破壊されていくことに危機感からの防衛本能として急激な全体主義的体制へ突き進むということが有り得るのですね。
つまり、このようなイメージです
安倍絶対支持であります!!⇒改革路線(成長戦略)の失敗⇒やはり市場原理主義ではダメだ!!⇒左派政権の誕生⇒外国人参政権付与⇒日本終了/(^o^)\
今の日本の現状を見ているとこのようなイメージが結構容易に出来るのではないでしょうか・・・現在は少々経済が上向きになっているので社会も安定しているように見えますが、特に内的、もしくは外的な経済的ショックをきっかけに、急激に経済や社会の安定性が損なわれるような状況がもっとも危険でしょう。アベドリルで開けた穴から入ってきた外国人が左翼政権によって付与された参政権を用いて政治を支配する。何も、保守アレルギーのような安倍嫌いに限らず、このような最悪な自体を避けるためにも、「ドリルとなってあらゆる既得権を打ち壊す!!」と宣言している安倍首相に対して、むしろ保守派の人々こそが厳しく批判の矛先を向けるべきだと考えます。また、それでこそ保守なのです。
2
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。