『僕たちは戦後史を知らない―日本の「敗戦」は4回繰り返された』(佐藤健志 著)から考える戦後精神史
- 2014/3/7
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精神性から目を逸らし続ける、無残な戦後日本人
評論家の西部邁さんは、戦後の日本人について、「呪われた民族である」と述べていますが、このような観点から捉えるならば、それはやはり納得できることなのではないでしょうか?つまり、戦争終盤において、日本は打つ手を無くし、決死の特攻作戦を決行しました。特攻する者達は、自分の親や同胞、あるいは国家を守るため、そして、自分たちの後にも仲間たちが続いていってくれるだろうと信じ、「後へ続くを信ずる」との言葉を残して特攻する。残った者たちは「彼らだけを死なせはしない」と悲壮な決意を抱えて、自らも特攻、あるいは本土決戦を決心するものの、本土決戦を前に戦争は終結しました。ここで、多くの人は、精神的な苦悩、あるいは葛藤を経験するのですが、一方で、その苦悩や葛藤から逃れようとした者達は、あの戦争をこのように振り返ることになります。
「私たちは、生き残れてラッキーだった。特攻した彼らは、本当に運が悪く将来有望であった多くの若者たちが犬死にしてしまった。彼らは可哀想な犠牲者であった。」
おおよそ、いわゆる戦後左翼の捉えている戦争観はこのようなものでしょう。戦争で国家のために生命を捧げた者たちを哀れな犠牲者と捉え、当時の日本を取り巻く情勢などには目もくれず、「さあ、自分たちは、あの愚かな過ちを繰り返さないよう努力しましょう。」とぬけぬけと抜かすその精神というものは、あまりにも低劣であり、お馬鹿さんの物言いであり、反吐が出る想いすらしますが、戦後日本の左翼全盛の時代にあってはこのような捉え方がある種の主流であったわけです。
また、佐藤さんは占領政策前期においては、日本人の多くがアメリカの国連中心主義に賛同し、日本の大東亜共栄圏構想と、アメリカの世界政府の樹立を志向する国連中心主義を重ね合わせ「実は、アメリカも日本もその戦争目的は似たようなものだったのだ」と自らを納得させようとしたとも述べています。果たして、「日本もアメリカも、その目的とするところは似たようなものであった」と考えるならば、アメリカの軍艦に突撃していった特攻隊やアメリカに抵抗して死んでいった兵士たちの死をどう捉えれば良いのでしょうか。もしアメリカも日本も戦争目的は実は同じであったと捉えるのならば、それらの死は、まさに無駄死に過ぎないとしか捉えようがないのではないでしょうか?
さて、このようにかの戦争は、以後の日本人の精神に大きな苦悩と葛藤を残しました。その結果として、日本人に何が起こったのかと考えることは容易ではないですが、一つには精神性の軽視という特徴が挙げられるのではないでしょうか。心理的、精神的、あるいは道義的に大きな苦悩や葛藤を抱え込んだ結果として、その矛盾から目をそらすために、異様なほどの功利主義的姿勢が現れてきたとも考えられます。宗教軽視、皇室軽視、精神性の軽視、そこから派生するビジネス文化の発達等々。それでも、90年代半ばあたりまでは、ギリギリのところで、日本人特有の精神性と、ビジネス文明をなんとか融合させようとする努力(いわゆる日本的経営と呼ばれるものがその代表)も見られ、それは大いに成果を上げていました。しかし2000年代のさまざまな改革以降、政治やビジネス環境の変化に伴い、日本人の精神性とビジネスのあり方が切り離され、そして、最終的に唯一の長所であった生真面目な性格や経済面における優位性すらも失いつつある。これこそが、戦後における日本人の精神のあり方の変遷を大雑把に捉えた見方です。
現代の日本人は、自分の精神には良いところはないのだと、強く強く念じているのではないでしょうか。
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