昭和恐慌を曲解するリフレ論者 ー 失われた20年の正体(その12)

こんにちは、島倉原です。
今回は米国大恐慌から目を転じて、日本のリフレ論者の方々が持論の実証事例としてしばしば取り上げる、同時代の日本の歴史的恐慌である「昭和恐慌」、及びそこからの脱却をもたらしたとされる「高橋財政」について取り上げてみたいと思います。

金融緩和と財政支出拡大をパッケージ化した高橋財政

高橋財政とは、昭和初期に大蔵大臣を務めた高橋是清(在任:1931年12月~1936年2月)の下で実施された一連の経済政策を指します。
当時の日本は、第一次世界大戦終了後の慢性的なデフレ不況状態のところに、片岡蔵相の失言に端を発する銀行取り付け騒ぎ(昭和金融恐慌、1927年)や米国発の世界恐慌(1929年~)、さらには浜口民政党内閣の下で実施された旧平価(当時の経済実態より円を過大評価した水準)での金本位制復帰(1930年)による円高不況が追い打ちをかけ、「昭和恐慌」と呼ばれる戦前で最も深刻な恐慌状態にありました。
そんな中で蔵相に就任した高橋は、直ちに金本位制を停止して管理通貨制度に移行すると共に、日銀引き受けも使いながら赤字国債を発行して軍事費・土木工事費を中心に財政支出を拡大する積極財政に転換し、円安と経済回復を実現します。
その際、「金本位制停止」や「日銀の国債引き受け」といったマネタリーベース拡大、すなわち金融緩和政策無しには高橋財政は実現しなかった、というのが、リフレ論者による「日銀悪玉論(現在の長期デフレ不況は、日銀の金融緩和が不十分なせい)」につながっています(本連載でも何度か引用した浜田宏一他著「伝説の教授に学べ! 本当の経済学がわかる本」でも、共著者の若田部昌澄氏による「(高橋財政ではなく)高橋金融財政と呼ぶべき」(カッコ内の記述及び下線は筆者)といったコメントが見られます)。

「高橋財政の成功=現在の日銀の金融緩和が不十分」の論理は成り立たない

前々回「『リフレ派のアイドル』バーナンキ氏の虚実」で若干言及した通り、当時の日本は今と異なり、経常赤字体質の国でした。
こうした国が金本位制を導入すると、まさにバーナンキが「大恐慌論」で指摘した通り、金融引き締めを余儀なくされ、マネタリーベースが減少すると共に、経常収支を改善するための緊縮財政も行われます(現代でいえば、海外資本の流出等で通貨危機が起こった国に似た状況です)。しかも当時の日本の場合、実体よりも円高の交換レートで金本位制に復帰したことが、この傾向に拍車を掛けていました。
実は図1で示した通り、財政支出(=名目政府支出)は高橋財政が始まる前から拡大していました。
これは柳条湖事件(1931年9月18日)に端を発する満州事変の影響で、緊縮財政方針だった当時の政府としてはやむを得ずに拡大したのですが、金融引き締めの影響でそれ以上に民間需要が減少し、同年の名目GNPはむしろ前年比マイナスとなるような状況でした(財政支出に批判的な立場の論者がしばしば口にする典型的な「クラウディングアウト」状態、すなわち政府支出の拡大が金利上昇を招いて民間の資金調達を妨げた、という訳です)。

【図1:高橋財政前後の各種経済指標の推移(1931年=100)】

高橋財政前後の各種経済指標の推移(1931年=100)

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