こうした状況では確かに、「マネタリーベース拡大(を可能に金本位制停止)が不況脱却を決定づけた」と言って間違いないでしょう。
ところがこれは前々回も指摘した通り、「金本位制下で金流出に見舞われ、マネタリーベース縮小を余儀なくされている国」だから成り立つ、ある意味特別な場合です。
これを管理通貨制度下の経常黒字体質国(直近はやや怪しいですが)、しかも今や世界最大の債権国で、現実に名目GDP比で過剰なまでにマネタリーベースの拡大を20年近く続けている現代の日本に当てはめるのは、明らかに筋違いでしょう(図2)。
なぜ、昭和恐慌時と現在の日本を比較して、「マネタリーベースを拡大しても上手く行くケースと行かないケースがある⇒両者の違いは財政支出拡大を伴っているか否か⇒財政支出拡大無しの不況脱却は成り立たない」という結論にならないのか、不思議なところです。
あるいは、極めて特殊な事情(しかも現代の日本には当てはまらない)によって、財政支出を拡大したが不況脱却できなかった1931年の事例を、何らかの根拠にしているのでしょうか。だとしたら、極めて近視眼的な議論でしょう(例えば、岩田規久男編著「昭和恐慌の研究」第8章の分析などは、そうしたバイアスが少なからず影響している可能性があると思います)。
【図2:1970年以降の、各種経済指標の推移(1997年=100)】
「日銀理論」の反証事例でもない高橋財政
リフレ派の人々は、「経済全体が資金不足の状態にない時、すなわち需要自体が不足している時には、中央銀行がマネタリーベースを供給するだけではデフレを止められない」という考え方を、「世界標準から外れた日銀理論」と称して批判します(例えば、岩田規久男著「日本銀行デフレの番人」第4章95ページ)。そして、安達誠司著「円高の正体」では、「日銀理論」の反証事例として、高橋財政後も1934年まで銀行貸出が減少した昭和恐慌期の状況がグラフで示されています。つまり、高橋財政は、マネタリーベース拡大が民間銀行の信用創造機能改善に結びつかないまま効果を発揮した事例(ここでは予想インフレ率上昇効果)、という論理です。
しかしながら、信用創造機能との関係でマネタリーベース(厳密には民間銀行等が中央銀行に保有する準備預金残高)の多寡の基準となるべきは、「民間銀行等の貸出残高」ではなく「民間銀行等の受入預金残高」です。なぜなら、信用創造の方法は「貸出」だけではなく「有価証券への投資」も含まれますが、準備預金とは、後者によっても増加する預金残高に対する支払準備(現金引き出しまたは他行振込時の決済資金)として位置付けられるものだからです。
そして、図1にもある通り、民間金融機関(銀行以外の信金、信組、農漁協なども含む)貸出残高は確かに1934年まで減少している一方で、民間金融機関受入預金残高は高橋財政が始まった1932年以降、名目GNPや卸売物価指数と共に上昇に転じています。これは、クラウディングアウトを起こすことなく、財政出動用に増発された国債に投資した結果であることは言うまでもありません。
すなわち、高橋財政とは、マネタリーベース拡大が信用創造機能改善をもたらすことで不況脱却に成功した(デフレ脱却も単なる予想インフレ効果でなく、実需の増加を伴うもの)という意味においても、リフレ派の論理を補強するような事例ではないのです。
(参考文献)
浜田宏一、若田部昌澄、勝間和代著「伝説の教授に学べ! 本当の経済学がわかる本」(東洋経済新報社、2010年)
ベン・S・バーナンキ著「大恐慌論」(栗原潤他訳、日本経済新聞出版社、2013年)
藤野正三郎、寺西重郎著「日本金融の数量分析」(東洋経済新報社、2000年)
岩田規久男編著「昭和恐慌の研究」(東洋経済新報社、2004年)
岩田規久男著「日本銀行デフレの番人」(日本経済新聞出版社、2012年)
安達誠司著「円高の正体」(光文社、2012年)
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