失われた20年:1997年以降の巨額の財政出動の行方

国の借金、先進国でトップ!!だというけれど…

財務省の統計資料によると、

“日本の借金(国債及び借入金並びに政府保証債務現在高)は、平成26年9月末時点で1038.9兆円”

ですが、

”平成26年度末(本年3月末)には、1143.6兆円になる見込みである。”

と財務省は補足説明を付け加えています。

消費税増税による税収増を見込んでも、半年後には借金はさらに100兆円以上も増えるというのである。

国の借金の大きさを国際比較する場合しばしばGDP比で比較します、

1997年末は国の借金のGDP比は約70%程度だったものが、H26年度末(本年3月末)には、日本の借金はGDP比で約238%(1143.6/480)になります。1997年以降の17年間にGDP比は3倍以上に膨らませたことになります。

財務省のHP「日本の財政を考える」の中に、債務残高の国際比較(対GDP比)というコーナーでOECD主要7カ国の対GDP比(OECDのデータ)を紹介しています。それによると、2014年における日本の債務残高の対GDP比は断トツ229.6%となっています。

前回の記述(最後部分)でおわかりの通り、今後経済成長率が高くなったとしても経済成長(名目GDP)分以上に借金は増え続け、また経済成長率が悪くなっても借金は増え続ける、どっちに転んでも借金は増え続ける構図ができあがって、対GDP比は拡大する一方である。

国(政府)は当たり前のことですが、営利事業をやっていないので借金の返済手段を持っていないので、

今後とも借金は増え続けるばかり(対GDP比も増大するばかり)・・・日本の財政と経済は、「借金」というレベルで見る限り、にっちもさっちもいかないどんづまり状態になっているのです。

蛇足ですが、名目GDP(国内総生産)とは何のことや?と聞かれることがあります。国内で新たに生産されたサービスや商品の付加価値の総額と言われても、いまいちピンとこない。筆者は、厳密な言い方ではないけれど、「企業で言えば総売上、家庭の場合で言えば、一家の総収入と思ってください」ということにしています。

→ 次ページ「借金は誰から借りるかがとっても重要。さて日本は誰から借りているのか」を読む

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西部邁

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コメント

  1. サラ金だって、「ご利用は計画的に」というのに、計画経済ではなくてなぜ自由主義市場経済は可能なのか。

    神の見えざる手という有名な言葉があって、経済は市場の自由な運動に任せておけば需要と供給の関係でおのずから最適な位置に落ち着くのだということのようですが、でも供給と需要は全然別のものじゃないか、おコメを百俵作った人がそれを売りに出したがそのコメを必要とする人には金がなくて、コメは売れ残り人は餓死するでは最適な状態とは言えないのではないか、というと、そういうことではなくて、セーの法則、もしくは販路の法則というのがあって、供給それ自体が需要を生み出す、のだそうです。これは経済学上ではあたかも物理学におけるエネルギー保存の法則といえるものなのだそうで、どういうことかというと…

    ある樵が山林地主に一万円をはらって木を切り出し、二万円で材木屋に売った。それを家具職人が三万円で買い、テーブルを作って四万円で売りに出した。各人の収入はそれぞれ一万円で、四人の収入の総計は四万円である。左側には四万円の収入があり、右側には四万円の商品がある。
     もし樵の取り分が五千円であれば三万五千円の総収入に対して三万五千円の商品になり、材木屋が自分の収入を一万五千円にすれば四万五千円の総収入が四万五千円の総商品に対することになる。さらに一人の商人が現れてそのテーブルを買い五万円で売るとしても同じで一方に五万円の総収入があり反対側には五万円の商品がある。全世界の収入の総額と商品の総額は常に等しい。この二つは違うことができない。だから収入のすべてが支出されればすべての商品が売り切れる。
     
    これは非常に優れたシステムで、もし商品が売れ残るとすればそれはその商品が市場にとって不要なものだったからであり、必要な商品である限り必ずそれが売り切れるだけの収入がおのずからもたらされていることになる。
     ただしここで肝腎なのは「収入のすべてが支出される」ということで、(マルクスとケインズが批判したのもここですが)
    このとき、収入の一部が支出されずに貯蓄に回されるとするとその分の商品が売れ残ることになり、その商品が売れればもたらされるはずの収入が実現しないことになる。そこに発生する貧困の量は貯蓄の量と等しい。使われずに残った貯蓄は世界の反対側に自分と等しい量の「実現しなかった収入」・貧困を生み出す。

    一方で、貯蓄するということはもう消費に金は使わない、消費財はいらない、と市場がいっているわけなのだからそれだけ資本財、生産財に資源を振り向ける余裕を手に入れたのだともいえる。
    資本主義の初期においてはブルジョワジーという偉大な種族がいて利潤をすべて投資に次ぐ投資に振り向け資本財、生産財を拡充し世界を豊かにしたというふうに昔習った記憶があるのですが、今の日本はカネ余りとか言って産業育成のための投資に振り向けられずに漫然と溜め込まれたままになっているのだそうで(というよりは投機目的で溜め込まれている)、するとその巨大な貯蓄の分だけ消費が不足し、実現されない収入・巨大な貧困が生まれる。
    自由主義市場経済で完全雇用が実現するのは貯蓄がゼロのときで、貯蓄が存在するときは貯蓄と同じ大きさの投資をしなければ失業と貧困が発生する。

    もはや投資に次ぐ投資で事業を拡大した偉大な種族が滅びてしまった現在、国づくりがあらかた終わってしまったといわれる現在では、この巨大な貯蓄を何とかするには、貯蓄している人に何とかものを買ってもらうとか、軽いインフレ状態にして今使わなければ損をするぞと脅かすとか、貯蓄分は税金で没収するぞといって強制的に支出させるとか、それでも使わなければ本当に没収して国が代わりに使ってやるとか、もしくは安い金利で借り上げて国づくりに使うとか、多く貯蓄する富裕層からあまり貯蓄のできない貧困層に所得を移転するとか、または、使わないで貯めこむだけの人がいるなら、貯めないで使う人がいればいいわけだから誰かが巨大な赤字を出して借金経営の事業をするとか、とはいってもそれだけの赤字に耐えられるのは民間にはいないだろうから国が赤字財政で何かをするとか、またはそもそもカネがしまいこまれてしまっているのだからその不足分のカネを印刷して誰かに配るとか、が必要になる。

    投資しきれないほどの貯蓄が眠っているということはそれだけのお金を持つ資格と能力のない人の手にお金が集まっているということであり、一方にはお金がなくて失業、ホームレス、餓死、自殺が発生しているということは現在の貯蓄のシステムが重大な欠陥を抱えていということだ。失業、ホームレス、餓死、貧困…は自己責任ではない

    • 矢島さん、コメントありがとうございます。貴方のご意見に概ね賛成です。いずれ近いうちに、貴方のご意見・提案に沿った私の見解を本誌(ASREAD)に投稿したいと思っています。

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