経済政策のあるべき姿

内生的な景気循環メカニズムの存在を否定し、なおかつ「政府はできるだけ何もしない方が資源配分は最適化される」と考える主流派経済学の発想に立つと、財政政策のあり方などはそもそも検討する意義に乏しい、ということになります。ここからの必然的な結論という訳ではないのですが、支出が収入を超えないことを目指す、いわゆる均衡財政主義なる考え方は、こうした立場にとってはある意味(それ以上のことを考えるのは時間の無駄、くらいの意味合いで)自然な発想です。
ところが現実には、財政赤字が拡大、即ち均衡財政主義から見れば増税や支出削減を行うべき状況というのは、もともと経済が下振れしている局面なので、緊縮財政が経済状況をより一層悪化させ、場合によっては国民生活に致命的なダメージを与えかねません。
その典型例が、1997年に消費税増税を含めた緊縮財政路線を断行して金融危機やデフレ不況を招いた橋本政権であり、全く同じ結果を招くかどうかは別として、現政権もまた、似たような過ちを犯そうとしています(図1参照)。
そもそも内生的景気循環論の立場に立てば、単年度の財政赤字に一喜一憂すること自体がナンセンスなのです。

【図1:GDP-公的支出比率と一般政府貯蓄投資バランスの推移】

GDP-公的支出比率と一般政府貯蓄投資バランスの推移

では上記とは逆に、「景気循環の底付近では財政支出を増やし、ピーク付近では支出を減らすことで、景気循環による変動をやわらげる」という考え方はどうでしょうか。
似たような発想の例として、1960年代に主流の座にあった、新古典派経済学とケインズ経済学を折衷した「新古典派総合」と呼ばれる学派では、「完全雇用が達成されるまでは財政政策や金融政策で経済を刺激し、完全雇用状態に達したらそうした刺激策を止めて市場メカニズムに任せるのが良い」とされていました。
しかしながら、こうした裁量的、というより場当たり的な政策運営には、「政府がその時点での最適な支出規模を決定できる、という非現実的な前提が置かれている(現実の景気循環は完全に規則的なものでもないし、現状把握から支出実行までのタイムラグが生じ、新たな経済不安定化要因になりかねない)。」
「支出内容が場当たり的になり、政府に求められるべき(=民間任せでは上手く機能しない)中長期的観点からの支出(ex. インフラ投資)が適切に実行されないリスクが高まる。」

という問題点があります。
こうした問題点を解消するのが、「名目支出総額を毎年ほぼ一定の率で、安定的に拡大する」という方法です。
図2は、前回提示したマクロ経済モデルと同様な内生的景気循環メカニズムを持つ、「サミュエルソンの乗数=加速度モデル」(同モデルの詳細は参考文献にも掲げたサミュエルソンの原論文または筆者論文「内生的景気循環モデル~」の第3章参照)において、政府支出の伸び率を変えた時の「GDP-政府支出比率」の動きを示したものですが、支出の拡大自体が景気変動の波をやわらげる効果を持っていることが確認できます。
このことからは、

政府支出の拡大とは不均衡状態を緩和することにより、経済全体の資源配分、すなわち経済効率を高める行為である。

と言うことすらできるのです。

【図2:乗数=加速度モデルにおける、GDP-政府支出比率の動き(政府支出伸び率別)】

乗数=加速度モデルにおける、GDP-政府支出比率の動き(政府支出伸び率別)

そして、「安定的に拡大する」という前提が確保されていれば、政府として求められる、中長期的な観点からの適正な支出計画も立案・実行しやすくなるでしょう。財政支出の受け取り側となる民間企業等にとっても、中長期的な観点で事業計画が立てやすくなる、というメリットが生じます。
もちろん、現実の政策運用において「伸び率固定の硬直的な予算を組め」という話ではなく、あくまでも基本的な考え方の問題です。
お金の使い道としては、(景気変動以外のものも含めた)不安定化リスクの軽減、あるいは(下振れした時にも持ちこたえられるように)国民の生活コスト引き下げに重点に置いたものであればなお望ましく、国土強靭化計画など、その意味では理に適ったものではないでしょうか。

なお、政府支出を青天井に増やせば、モデル上は景気変動の波を消し去ることも可能です。しかしその場合、「インフレ」という別の不安定要因が発生するため、伸び率はほどほどにすべきです(インフレ自体、「実質ベースでの安定的な支出拡大」の阻害要因です)。
その意味では、モデルからの帰結として前回のプレゼンテーションでお示しした「名目年5%ペースでの支出拡大」という数字は、一つの目安になるのではないかと思います。
また、支出の実行に際しては、いわゆる「無駄遣い(インフレ要因)」が極力発生しないよう、努めるべきなのはいうまでもありません(もちろん、コスト削減にこだわり過ぎてそもそもの支出目的が達成できずに中長期的な禍根を残したり、「支出総額の持続的拡大」という基本的な枠組みを外してしまっては本末転倒ですが)。

→ 次ページ:「「異次元金融緩和」はできるだけ速やかに撤退すべきである」を読む

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西部邁

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  1. 2016-2-24

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