『日本式 正道論』序章 世界と国家と人生、そして道

第二節 境界線

 では実際に、どう世界を成し、どう人生を為すのでしょうか。つまり、何故その選択肢になり、何故その基準での選択を決断するのでしょうか。
 そこには、「分かるということ」と「知るということ」、この二つの働きが必要になります。この二つの働きに関わってくる要素が、境界です。境界という要素は、世界と人生に影響を与えると同時に、世界と人生から影響を受けます。
 日本語では、「わかる(分かる)」は分別することによって、その異同を知ることです。「しる(知る)」は全体的に所有すること、つまり、「領(し)る」ことによってその全体を把握することをいいます。分かるには、境界線を引いて分けることが、知るためには境界線を引いて領有することが必要になるのです。ですから、世界による選択肢の成し方とか、人生による決断の為し方というものが、境界線を引くことによって形成されるのです。その働きにより、世界と人生の関係が展開されていくのです。
 最初は、世界も人生も曖昧なままです。何だか、グチャグチャしています。そこで、まずはひたすらに「分かる(分ける)」と「知る(領有する、自分のものにする)」を行うのです。赤ん坊が、ひたすら目にするものを手にし、口に含むように、です。あの行為は、手に取ることで世界を分け、口にすることで世界を知る行為なのです。
 そういった行為の先、時空における時間意識により、考え方に連続性・一貫性・持続性が獲得され、空間意識により限定性・限界性・特異性が芽生えてきます。それに伴い、物事の境界線が明確になっていきます。それは秩序の生成というべき推移です。秩序が整うにつれて、世界による選択肢の成し方とか、人生による決断の為し方に基準が仄見えてきます。そこには「世界⇔境界⇔人生」という関係があり、次に示すような相互作用が働いています。

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[図0-1] 世界と境界と人生

 様々な境界により、世界の成し方、および人生の為し方がはっきりしていきます。同様に、様々な境界は、世界からその在り方を、人生からその有り方を、つまりは意味を獲得します。これは心に関する、一連の物語です。
 境界は、心が世界と関係し合い、認識と共に成立するのです。心は感覚器官によって、今の現象を感覚として受容します。それぞれの感覚に対する識別により境界線が引かれます。その上で意識は、過去・未来・現在を対象とし、言語活動を行います。そこに深層心理が関わり、慣習・法律・不文律・道徳・文化・宗教・言語・民族などの境界線が引かれ、個々の領域を判別することが可能になるのです。私達は境界線を引くことで、物事が分かり、物事を知るのです。
 ちなみに仏教の唯識派は、心の存在も夢や幻として否定しますが、ここではそれも一つの観方であることを指摘しておきます。心の存在だけが確かであるという観方も、心の外に確固たる物が在るという観方も、同様に成り立ちます。これらの観方は、同時に成り立ち、それらを包括的に観る観方も生まれます。それぞれの観方は、互いに関係し合って世界を紡いでいきます。

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西部邁

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