労働生産性をめぐる「合成の誤謬」

主流派経済学の教科書に合成の誤謬(ごびゅう)は存在しない

 ケインズ経済学が主流であった時代(1950年代~70年代央)、マクロ経済学の教科書には必ず「合成の誤謬」というトピックスが載っていました。よく使われたのは、「個人にとって節約は美徳であるが、全員が節約を励行すると社会全体の総需要が減り、経済は委縮する。すなわち所得が減ってしまう」という例です。国民全員が「清貧の思想」を奉じて行動すると、実際に経済全体が貧しくなってしまうという話です。すなわち、「ミクロ的視点で良かれと思ってしたことが、マクロ的に好結果を残さないことがある」という意味です。現実社会には、合成の誤謬の事例をよく見かけます。例えば、もしもミクロの労働力不足を補うために外国人労働者を受け容れるならば、幾ばくかのミクロの企業は業績を伸ばせるかもしれません。しかし、大挙して押し寄せる外国人労働者によって、結局、マクロとしての日本は国民国家としての存立を脅かされるであろうことは容易に推察されるところでしょう。
 注意すべきは、合成の誤謬はケインズの想定する世界では生じますが、現代の主流派経済学の世界、すなわち同質的個人から構成される世界では発生の余地はありません。そこでは個人は全体を意味し、両者が分離することはあり得ないからです。ミクロとマクロは完全に一体化しているのです。
 主流派の世界は、物欲の充足という価値観を共有する同質的個人、一定量の資源、所与の生産技術および市場メカニズムの四要素から構成されており、それは「市場システム」と呼ばれます。そこには国家も国民も人間関係もありません。ましてや「節約を美徳とする」といった道徳観もないのです。完全情報を有する個人の主体的均衡を達成するための活動によって、諸資源は過不足なく配分され経済は最も効率的な状態に達することが保証されている世界です。
 そうした主流派論理に立脚すると、現実に観察される合成の誤謬を見逃すことになります。個が全体を表すなら、「個を良くすることは全体を良くすることと同じ」になるからです。それゆえ合成の誤謬が生じないことを前提に、経済を見ることになります。主流派経済学の教科書に、合成の誤謬は存在しないのです。
 

戦闘準備:定義の確認

 統計概念は、経済理論と現実経済の狭間(はざま)に位置します。経済理論が統計概念を意味づける一方で、現実経済は統計概念の現実の姿を数値として提示します。統計数値自体は何も語りませんから、それを解釈するために経済理論が必要です。しかし、経済学は一つではなく、経済諸学説の集合体です。それゆえ、統計数値の解釈も学説ごとに複数存在します。ここでは、主流派およびケインズ経済学という二つの学説の観点から、労働生産性を解釈していきます。
 一般に労働生産性は「GDP÷労働投入量(労働者数×労働時間)」と定義されます。ここで労働投入量をLとしましょう。GDPは最終財の「物価水準(P)×生産数量(Q)」であり、Pを現在の物価水準としたものが名目GDP、基準年の物価水準としたものが実質GDPです(正確には連鎖方式で計算しますが、煩雑になるので省略します)。またGDPはミクロの生産者の生み出す付加価値総額(VA)と一致します。付加価値とは「売上マイナス仕入」のことです。それは企業内部に残った部分を指しますから、大雑把に言って「人件費+企業の留保利潤」のことです。
 さて、先に示した労働生産性はGDPをLで除したものですから、「1時間当たり(もしくは平均労働時間を一定とすれば一人当たり)」の生産額を表します。貨幣表示になりますから、それを「価値労働生産性(GDP/L)」と呼びます。同じことですが、付加価値総額をLで除したものは「付加価値労働生産性(VA/L)」です。他方、生産量(Q)をLで除したものは「物的労働生産性(Q/L)」と呼ばれます。
 これらの概念は、マクロの労働生産性を表す指標ですが、ミクロの場合も当てはまります。その場合には、GDPを個別的企業の生産額(もしくは生産量)、全体の労働投入量を当該企業のそれと置き換えればよいのです。
 

全企業の労働生産性は一致する

 先ず、主流派経済学の立場から労働生産性を考えましょう。主流派の経済観は、「造ったものが全て売れる」というセイ法則に基づいています。すなわち、常に諸資源は完全雇用もしくは完全利用された状態を前提にしております。遊休資源は存在しません。どんなに造っても売れ残りが出ないからです。また貨幣量の変動は、物価水準に影響を及ぼすだけで、雇用量や生産量に影響しないと考えます(これを「貨幣の中立性」と言います)。
 そうした経済観と整合的な主流派の労働生産性とは、物的労働生産性(Q/L)を指します(価格変動に実質的な意味はないため)。それは労働投入量と産出量の比率で、純粋に技術的関係を示すものです。「一時間労働すると何個生産される」という生産技術を表しています。そして、その技術は、市場メカニズムによって、選択可能な技術の中で最も効率的なものが採用されています。市場メカニズムとは、最も高い価格を提示した人に資源を渡す仕組みです。最も高い価格を提示できるのは、その資源を最も有効に利用する方法を知っている人です。そうでなければ、その人は損失を被ることになるからです。
 したがって、主流派の世界における労働生産性の値(あたい)は、最適な技術選択の結果ですから一定値となります。最適値ですから動かすことはできません。さらに言えば、その世界の全ての産業部門、かつ全ての企業の労働生産性は完全に一致します。労働はコストなしで自由に何処へでも移動でき(雇用は完全に流動的)、資本はどのようにも姿を変えることができる(「資本の可塑性」と言います)ことが仮定されているためです。最も効率的な生産技術(すなわち最も高い労働生産性)を有する産業もしくは企業に、諸資源は瞬時に吸い寄せられるのです。
 明らかに、主流派経済学の観点からすれば、労働生産性を引き上げる手段は技術進歩以外にありません。さらにミクロとマクロの一致という経済観を考え合わせるならば、「個別的企業が技術革新によって労働生産性を向上させれば、経済全体の労働生産性も向上することになる」という結論が導かれるのです。

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西部邁

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  1. 2016年 6月 11日

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