労働生産性をめぐる「合成の誤謬」

需要が労働生産性に影響を及ぼす

 次にケインズ経済学の経済観から労働生産性を吟味しましょう。多種多様な企業が活動する現実世界の中で労働生産性の意味を考えるのです。一般に労働生産性は、国家間、産業間、企業間の「効率性の比較」に用いられる概念です。
 例えば、日本生産性本部の「日本の生産性の動向2015年版」によると、2014年の日本の一人当たりの労働生産性は、米国の約6割の水準にあたり、OECD加盟34カ国の中では第21位であることが示されています( 2005年からずっと21位)。ちなみに財政破綻の危機に陥ったギリシャは19位で、日本より上位にいます。
 こうした統計数値から、内閣府の官民対話などで「日本の労働生産性を向上させるにはどうすべきか」といった政策目標が取り沙汰されているわけです。確かに、私たちは労働生産性が低いより高いほうがよいと無意識に考えています。それだけ効率的に思えますから。日々、労働生産性の向上に取り組んでいる企業もあることでしょう。しかし、ミクロレベルの話とマクロレベルの話が一致するのは主流派経済学の世界の中だけであって、現実経済ではそうはいきません。その理由をこれから説明していきましょう。
 先ず、「労働生産性は供給サイド(技術的要因)によってのみ決定される」と考えるのは間違いです。実際は、供給サイドばかりでなく需要サイドによっても甚大なる影響を被っているのです。しばしばサービス業の労働生産性は、製造業のそれと比べて低いことが指摘されていますが、それが良い例です。製造業の場合、例えばトヨタの工場をイメージしてください。生産ラインが整備され、労働者が1時間働くと10台の車が完成するとしましょう。一日のうち、早朝であろうと昼間であろうと深夜であろうと、何時に働いても1時間当たり10台が生産されるのです。1時間当たりの物的労働生産性は10台です。この場合は技術的要因によってのみ労働生産性が決まります。
 他方、サービス業の場合、例えばコンビニを想起してください。同じように労働者が1時間働いたとしても、働く時間帯によって売上額は変わってきます。昼間の時間帯はたくさん売れ、早朝や深夜は少ないでしょう。すなわち1時間当たりの労働投入量は同じでも、生み出される付加価値(売上マイナス仕入)は変化しますから、昼間の労働生産性は高く、早朝や深夜は低くなります。需要サイド(売れ行き)が生産性に影響を及ぼしているのです。それゆえ、サービス業の場合、労働生産性を向上させるためには早朝や深夜の営業を止めればよいだけの話です。
 しかし、コンビニの24時間営業は続きます。コンビニ店主は労働生産性を向上させたいと思っても、コンビニ本部は自社の利益を優先させるからです。コンビニ店主は労働者を雇い営業費用を負担しなければなりませんが、コンビニ本部は納品した商品価格に利益が入っていますから、少しでも売れれば儲けになります(ロイヤルティーも売り上げに比例しているでしょう)。しかし、閉店時間帯は一つも売れないのです。そのため、本部の指令により1日中開店しているのです。同じような例に、従業員に長時間労働を課すブラック企業があります。ブラック企業が更生して真っ当な企業になれば、サービス業の労働生産性は間違いなく向上するでしょう。
 このように現実経済ではミクロレベルにおいても、労働生産性は技術的要因によってのみ決定されるものではないのです。
 

国家間の効率比較に意味はない

 マクロレベルで労働生産性を向上させるためには何をすべきでしょう。日本の労働生産性を上回るギリシャを例に考えてみます。言うまでもなく、ギリシャはここ数年財政難にあえぎ、財政破綻を避けるために欧州委委員会(EU)、欧州中央銀行(ECB)、および国際通貨基金(IMF)から金融支援を受けています。支援の条件として過酷な財政緊縮策を採らざるを得ない状況下で、ここ2、3年完全失業率は25%を超えています。特に若年層失業率にいたっては、最悪期の2013年には50%を遥かに超えておりました。
 そうした経済状態が最悪なギリシャの労働生産性がなぜ日本より高いのでしょう。その理由は、労働生産性の定義(GDP÷労働投入量L)を見れば明らかです。生産性が上がる条件は、「GDP成長率>Lの増加率」、もしくは「GDP減少率<Lの減少率(失業増加率)」です。経済が委縮しているギリシャは、まさに後者です。すなわちGDPが減少する以上に失業率が上昇したのです。マクロの労働生産性の向上が手放しで喜べない例もあるということです。ただし、このギリシャの事例を主流派経済学は説明できません。主流派の世界は労働生産性が常に一定でなければなりませんし、またその世界の失業者は全て自発的失業者でなければならないからです。さすがに若者の半分が自ら進んで失業状態を選択していると説明することには無理があります。
 ただし、主流派経済学から派生した構造改革論の立場から、ギリシャの事例を説明する誤解もありますので、若干補足をしておきましょう。構造改革論は、現実経済を主流派の想定する世界へ進む途上と想定します。具体的には、経済を効率部門と非効率部門に分け、非効率部門で雇用されている諸資源を効率部門へ移動させることで経済成長を図るという考え方です。構造改革論者は、小泉構造改革時代から延々と同じスローガンを唱えております。「経済内で生き延び続けるゾンビを追い出せ」と。自分たちにとって都合の悪い産業部門や企業に対して、効率の基準も示さずにゾンビというレッテル張りをしているのです。そしてレッテルを貼られた非効率部門、非効率企業に対し経済から退出するよう求めているのです。そのために政府に働きかけて、規制緩和の実施を成長戦略と称して進めようとしています。主流派経済学者、エコノミスト、財界人、政治家、マスコミ人等ほとんどがその見解を共有し、支持しているのが現状です。
 構造改革論を用いると、ギリシャの労働生産性の向上は、国内に生き残る非効率な産業部門や企業が経済から退出したためだと解釈されます。ミクロを足し合わせたものをマクロと考えますから、労働生産性の低い企業が消え去ればマクロの労働生産性の平均値は上昇するということです。しかし、非効率部門に雇用されていた労働者はどうなったのでしょう。もちろん、失業したのです。失業状態を自主的に選択したのではありません。現実は、解雇されても、すぐ再就職先が決まる経済理論の世界とは違うのです。
 ミクロレベルで、企業経営者が生産性の向上を図るために努力をしていることを、私は批判するつもりは毛頭ありません。当然の企業努力だと思います。しかし、ミクロの労働生産性の向上がマクロのそれにつながる保証は一切ないのです。ミクロの労働生産性向上の手段には労働節約的な技術の採用も含まれます。その場合、必ず余剰人員が生じます。雇用問題の発生は、生産性向上の負の側面なのです。政策的にゾンビ企業を退出させようと構造改革を進めると、結果的に大量の失業者が生まれます。大店立地法によって商店街がシャッター通りになったようなものです。その受け皿として低賃金の非正規雇用が増えたからといって、それを歓迎するのは一部の労働派遣会社だけなのです。

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西部邁

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  1. 2016年 6月 11日

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