フラッシュバック 90s【Report.22】小林よしのりの『戦争論』で生まれた保守への反動
- 2016/2/2
- 社会
- 90s, feature3
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『戦争論』が強調した歴史の連続性
『戦争論』が特に強調したことは、戦前の日本と戦後の日本は一続きであるといいうことです。
これは、明確にそれまでの進歩派知識人が掲げてきた「8月15日革命説」のような、戦前日本と戦後日本の間に特別な出来事が起きたフィクションを作り上げ、戦後日本の正統性を主張する論調を否定しています。
いや、極端な話、自分の祖父母やその父母が、南京大虐殺や従軍慰安婦のようなひどい戦争犯罪をすると思うか否かといったミクロな目線から始まり、90年代を支配していた「サヨク」的論調を疑うことを手助けしたのです。
また、戦争論の中に様々な参考文献なども惹かれており、自ら調べるには充分なほどの情報量が与えられていました。
ニューライトの弱点
90年代の「サヨク」的論調の反動としてニューライトの考え方をした世代が生まれていく土壌は、この戦争論がおおきく影響していたといえます。影響を受けたのはおおよそ、今の30歳以上の世代でしょう。
彼らがどのような活躍をするのかはまだ論じるには少し早い気もしますが、いわゆる「ネトウヨ」に留まっている人もいるかもしれませんが、比較的政治家や学者、メディア関係を志望している人たちが多い印象です。
私自身にも言えることですが、このニューライトの弱さは根無し草というところだと思います。いわゆる「保守主義」を標榜しながらも「何を保守すべきか」という議論に答えを出すことができていなないという弱点を抱えています。
いうなれば、「日本」という外枠、カタチを様々な手法を用いて、表すことができても、その内実、中に何が広がっているのかと言うことに共通の見解を持つことはできていないわけです。
この共通見解のなさこそが、90年代に生まれたニューライトたちが組織立った行動を取ることができない最も大きな原因ではないかと思います。
ニューライトにとって悲劇は「日本」を議論しなければいけないこと
「日本」の中身が千差万別というのは非常に不幸なことでもあります。
戦前においては「國體」がそれに近いものだったのかもしれませんが、戦後においては加速度的に失われて行きました。
ニューライトにとって悲劇なのは、まず、共通観念である「日本」に関する議論からはじめて行かなければならないことです。しかし、グローバル化が進み多極化する時代において、そもそも自らの理念を問い直すところから初めている時間的余裕もないわけですから。
しかし、そういった危機の時代を乗り越えられて初めて、守るべき「日本」の価値が現れていくといえるでしょう。
※第23回「フラッシュバック 90s【Report.23】日本の「中年の危機」だった構造改革」はコチラ
※本連載の一覧はコチラをご覧ください。
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