フラッシュバック 90s【Report.32】1990年代後半を語る作法について(破)

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さて、前回の序では、1995年という年をメルクマークとして、95年以降を90年代後半と定義し、そこから90年代後半を語る作法序について述べました。

90年代後半は「テレビと視聴者のボーダー」が徐々に取り外されていった時代です。例えば、阪神淡路大震災の際は、テレビで伝えられる様子を見て、ボランティアが取るものもとりあえず駆けつけました。同年に起こった、地下鉄でのサリン事件というテロも浅間山荘事件やよど号ハイジャックと違い、視聴者が被害者はおろか、加害者にすら成りうる報道が続けられたわけです。

これは非常に重要なテーマでして、このトレンドが間違いなく、ゼロ年代以降の政権の不安定さや様々な問題のコアになっています。分析する価値はあるでしょう。
大澤真幸氏は1970年から1995年までを「虚構の時代」、1995年以降は「不可能性の時代」と定義しています。同じように1995年を1つのメルクマークとして捉えているわけです。

ただ、個人的に大澤氏の論調は小難しいところがあるので、本論では、「虚構」と「不可能性」を用いて、90年代後半について語っていきましょう。

虚構を彩ってきたテレビメディア

虚構と書くと、何か壮大なものに見えますが、要は現実には存在しない、作り物というわけです。

1970年から1995年までに置いて、最も虚構を垂れ流してきたのは、テレビ・新聞といったマスコミであることは間違いないです。ウォルター・リップマンが著書『世論』で語ったように、1つの出来事は新聞やテレビに乗ることによってニュースになるが故に、マスコミはニュースを作り出すのだと語っていました。

まさに、連日、虚構をお茶の間に彩ってきたのがテレビであり、新聞だったでした。そして、視聴者は世界を理解する際に、テレビや新聞を通じて伝えられたニュースや意見を参考にして自分の周辺の世界を理解していくわけです。

象徴的なのは、本多勝一氏の「中国の旅」でしょう。原則的に、メディアの発信情報は確かであり、調査や批判する機関や構造が必要ないと思われていた時代だったからこそ、旧日本軍の蛮行として、様々なことが既成事実化していったといえます。

虚構を作ることができなくなったメディア

一方で、1995年の阪神淡路大震災で、メディアの作ってきた虚構が立ち行かなくなります。自然災害による被害を報道すればするほど、新聞やテレビで伝えられる光景は、作られたことでなく、「明日、我が身に起こるかもしれない目の前の危機」となります。
同様に、地下鉄サリン事件のテロを報道すれば、「明日の地下鉄で巻き込まれる可能性」が示唆されます。また、スピリチュアルとしてオウム真理教を見たときには、神秘主義やスピリチュアルにはまっている人々は自分が気づかないうちに加害者側に回ってしまうリアリズムを感じるかもしれません。

これの流れは報道だけでなく、様々なジャンルにも広がっていきます。「踊る大捜査線」はこれまでの刑事ドラマの定番を自虐的にひっくり返し、バラエティ番組は出演者の裏側である作り手やスタジオの雰囲気を隠さず、前に打ち出していく。自ら、「この世界は作り物ですよ。」とカミングアウトしていくような方向性に進んでいきました。

エヴァンゲリオンの特殊性

さて、「逆も真なり」でテレビだけでしか存在し得ない世界が視聴者にとってのリアルになることもありました。その象徴的な作品が「新世紀エヴェンゲリオン」だったといえます。

新世紀エヴァンゲリオンのオリジナル放送も1995年でした。
2016年の現在と違い、アニメというものは比較的10代以下の楽しむものとして消費されていました。パトレイバーや攻殻機動隊、マクロスやオレンジロードのように、大人向けのアニメも存在していましたが、OVA(ビデオ販売)が中心で、アニメに詳しい「大人」はオタクとして揶揄されていた時期でもありました。

ちょうど、90年代前半に宅八郎が演じたビジュアルこそ、世間一般でのオタク像であり、彼らの間で共有されているコンテンツがアニメや同人誌といった若干クローズドな世界と考えられていました。

そういう空気感の中で、空前のヒットとなったアニメが、「新世紀エヴァンゲリオン」でした。エヴァンゲリオンのストーリーは登場人物がそれぞれに抱えているトラウマやコンプレックスとどう対峙していくかというところがメインであり、究極的な解決策が提示されることはなく、逆に人類の運命をかけている対使徒との戦いの方がサブテーマとなっている感があるわけです。

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西部邁

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