京都地下鉄の萌えキャラにクレームをつけたのはフェミ…じゃなくて“まなざし村”!?

 しかし、一体全体どうしたことか、先の引用を目の前に突きつけられても、リベラル君はそれを、頑迷に否定し続けました。
 曰く、「エロ漫画、エロアニメなど現実の女性の関わらない表現であれば、『売買春記録物』とならない。キョージュがポルノを“全”否定している、というのは当たらない」。
 曰く、「実写などでも写真集など『売買春記録物」』ではないものもあり得る」。
 う~ん、そんな例外を持ち出して、“全”否定していないのだと言われて、納得できるでしょうか。
 ポルノではあれど「売買春記録物」でないものもあるというのも、おかしなリクツです。キョージュは「風俗」を全否定しているのですから、「風俗」であっても「性交」のないものであればいいのだといった抜け道を認めていないのは自明です。となると、「性交に至らない写真ならばOK」などの抜け道をキョージュがお認めになるとは、とても思えません。
 確かに、ぼくたちオタクは二次元の美少女を愛する存在です。
 アニメや漫画だけでもお許しいただけたならそれでOK、と言えなくもないかも知れません。
 しかしそれならば彼らリベラル君たちは、「実写のポルノ全否定」に首肯するのでしょうか。児童ポルノの単純所持が禁じられた時は、みなさん「実写の禁止を容認すれば、今度はイラストなどの禁止もなされることは明白だ」と大反対なさっていたはずなのですが、フェミニストの言うことになるととたんに寛容になるのは、不思議としか言いようがありません。
 フェミニストやその信奉者は非常にしばしば、明らかなウソやデタラメを並べ立て、指摘されてもそれを認めずヒステリックにがなり立て、「『相手の言はデマだ』というデマ」をあちこちに流布させる、恫喝して発言を圧殺しようとする、という挙動に出ます。その度にアゼンとさせられるのですが、彼ら彼女らのロジックは全て「フェミニズムは正しい」との仮定の上に築き上げられており、自らのウソやデタラメ、不誠実な振る舞いに対する自覚はどうも、一切ないようです。
 事実、ぼくは彼らがまとめたtogetterでこれら事実を指摘したのですが、よほど都合が悪かったのかコメントを消され、書き込みを禁じられてしまいました。彼らは、表現の自由を何よりも重んじておいでのはずなのですが。

 80pの(キョージュが表現規制に反対した箇所の)続きをちょっと読んでみましょう。

 それならいっそのこと、かれらが性関係から撤退し、性行為をマスターベーションに限定し、自己完結した性的欲望のファンタジーのもとにとどまってくれているほうが、ずっとよい。ヴァーチャルなシンボルで充足できる「二次元萌え」のオタクや、草食系男子のほうが、「やらせろ」と迫る野蛮な肉食系男子よりましだ。
(中略)
たとえ二次元平面のエロゲーや美少女アニメが、誘惑者としての女がすすんで男の欲望に従うあいもかわらぬ男につごうのよい男権主義的な性幻想を再生産している、としても。
(86p)

 つまり、彼女は「ポルノを全否定」した上で、「オタクは二次元にしか興味がない」との仮定の上で、ようやく、ぼくたちのことを「まし」であると言っているだけなのです。
 かつてのキョージュの言葉でも、コミュニケーションスキルが乏しい男は「マスターベーションしながら死んでいただければいいと思います。」というものがありました。
 また、『バックラッシュ!』のインタビューにおいても、オタクについて

ギャルゲーでヌキながら、性犯罪を犯さずに、平和に滅びていってくれればいい。

ところが、彼らが間違って子どもをつくったらたいへんです。子どもって、コントロールできないノイズだから。ノイズ嫌いの親のもとに生まれてきた子どもにとっては受難ですよ。
(434p)

 と評しています。オタクは子供を作ることすらまかりならんと、キョージュはおおせのご様子です。しかし考えれば、先の発言もそれをオタクの耳に多少快くソフトにしただけで、本質は同じなのですね。
『女ぎらい』に立ち返ってみると、吉行淳之介『驟雨』もまた、「おどろくほど通俗的なポルノの定石どおり」であり、吉行先生は男が女を快楽に導くことで支配するという幻想をまき散らかした戦犯であると断罪されています(13p-)。
 フェミニストは根本の部分で「我々の性意識は他者によって教え込まれたもの(であるから、それを覆さねばならない)」という考え方をしており、ポルノを絶対に許すはずがないのです。
 この『女ぎらい』は壮大な「ポルノ否定」の(いえ、「男性否定」であり「女性否定」の)書であり、フェミニストがポルノに寛容という主張はナチスがユダヤ人を大好きだというのと同じくらい、ムチャクチャなものなのです。
 そもそも上野キョージュのデビュー作は『セクシィ・ギャルの大研究』。これは女性をモデルにした広告を分析して、それを男性たちがいかに性的に「まなざし」ているかを指摘、差別だと批判するといったものでした。
 フェミニストは最初から、「まなざし村」の村民だったのです。

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西部邁

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コメント

    • rainmaker
    • 2016年 2月 20日

    表現規制反対派の人たちはよく「まなざし村民のような似非フェミのせいで本当のフェミニストが迷惑している」といったことを主張しますが、これが無理のある主張であることは明らかですよね。「男性の性的視線(=まなざし)が女性に抑圧を与えている」という言い分はフェミニズムの主張そのものなのですから。

    上野千鶴子を規制反対派として評価する人もいますが、あくまで二次元で完結してるオタクはオラオラ系みたいな男よりはマシ、と言ってる程度のことなんですよね。いえ、その程度の評価すらなかなかフェミニストから得られないのが現状なのですが。二次元ポルノの自由を認めてもらった程度のことで話がわかる人のように評価してしまうのはそれだけオタクの自己評価が低いということでもあるので、彼等のこともなかなか責めにくいのですが、そろそろフェミニズムと共闘できるなどという夢を見るのはやめた方がいいように思います。

    • 兵頭新児
    • 2016年 2月 22日

    ホントそうです。
    彼らリベラル君たちは「真のフェミニスト」はそうではないと強弁するのですが、彼らこそが、この世で誰よりもフェミニストを貶めている存在でしょう。

    まあもっとも、オタク界にいるフェミニストは彼らと口裏をあわせる傾向が強く、彼らの言は必然的に「オタクに媚びる、作家や学者などの社会的地位のあるフェミニスト」が「真のフェミニスト」であり、「ツイッターなどでそうした後ろ盾がないが故に自分たちに媚びないフェミニスト」が「似非フェミニスト」だというリクツになってしまい。これって本当に単なる弱い者いじめなんですよね。
    まあ、弱い者をいじめることがリベラル君の目的である、と仮定すれば辻褄のあう話ですが……。

    >二次元ポルノの自由を認めてもらった程度のことで話がわかる人のように評価してしまうのはそれだけオタクの自己評価が低いということでもあるので、彼等のこともなかなか責めにくいのですが、そろそろフェミニズムと共闘できるなどという夢を見るのはやめた方がいいように思います。

    そうですね。その辺の自己評価の低さを利用されていますね。
    ぼくが「リベラル君」と呼んでいるような人たちの中には「昔はオタクを見下していたが、今は運動のためにオタクの代表者ヅラをしている」といった人物もいます。
    その意味で、彼らは本当にフェミニストと同じ、事大主義者です。

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