京都地下鉄の萌えキャラにクレームをつけたのはフェミ…じゃなくて“まなざし村”!?

オタクたちの強がりが裏目に出た件

 ――これを読んでいただいているオタクのみなさん、いかが思われたでしょうか。
 何だか、「乗っかってくんじゃねーよ!!」という苛立ちを、感じなくはないでしょうか?
 キョージュの近年の、オタク寄りの言は、オタク界とかかわる機会が多くなってのことだと、想像できます。厳しい表現をすれば「人気取り」だと思われるのですね。
 しかしぼくが更に感じるのは、キョージュがぼくたちの「決めゼリフ」に「乗っかった」ことについての違和なのです。
 近年、オタクは以下のような「決めゼリフ」をよく口にします。

「三次元の女どもに用などござらん! 拙者は真の愛を求め、二次元の世界へと飛翔したエリートでござる!!」

 この発言は『電波男』に端を発する論法であると言えます。同書は本田透さんというオタク作家による、オタクとは「現実ではモテないからやむを得ずアニメの美少女を見ている者」などではなく、「真の愛を求める求道者」であると規定した名著です。
 しかし、それではぼくたちは本当に二次元にしか興味のない、「二次元性愛者」なのでしょうか?
 例えば「同僚のA子などAKBの○○ちゃんに比べればブス」と言っていたB君が、しかしA子ちゃんに求愛されたとたんに鼻の下を伸ばし、つきあい始めてしまったとしたら。いささか調子のいい話ではあるものの、別に矛盾はありません。B君は単なるAKBファンであり、「AKB性愛者」などではないのです。
「二次元にしか興味がない」発言に、「三次元の恋人を得られない」ことからの虚勢という一面があることは否定できません。そもそも、萌え産業の隆盛も恋愛、結婚の困難さとは無縁ではないはずですから*4。
 そうじゃないと言うなら、ぼくたちのもう一つの「決めゼリフ」に込められた心理の説明がつきませんよね。そう、

「リア充爆発しろ!!」

 です。
 上の言葉はそんな逆境にある男性がある種の虚勢、いえ、それが言葉として悪いならば「愛を得られない運命を受け容れ、凜と一人立つ」ための、自分を奮い立たせるための言葉でした。
 しかしそんな本田さんの精神性を全部カットした上で、キョージュとリベラル君たちはオタクを「二次元性愛者」であると規定してしまうのです。
 何故か。
 オタクの精神性を、彼ら彼女らは認めたくないからです。
 内田樹キョージュがツイッターで脱成長を説きつつ、ウナギやフレンチを食べていたとして、批判されたことがありました*5。むろん、何を食べようと勝手とはいうものの、この件は左派の言う「脱成長」が口先だけのキレイゴトであることを、象徴しているように思われます。
 また、上野キョージュのお弟子さんである古市憲寿さんも牛丼の安さを「日本型の福祉」であると称し、批判されたことがあります*6。これもまた安易な「脱成長」論の一種であるように、ぼくには感じられます。
 上野キョージュの言もまた、これら「脱成長」論と、そっくりだとお感じにならないでしょうか?
 先の引用でもおわかりの通り、フェミニズムは男性性自体を悪しきものと考え、恋愛や結婚もその発露であるとして、否定すべきと考える思想です。
 それは丁度、脱原発、江戸礼賛に象徴されるように、左派が経済成長を悪と考えるのに近い。言わば両者は従来の「本道」へのカウンターという性質が形骸化し、それをアップデートできずにいる、似た者同士なわけです。
 本田透さんが登場した時、彼ら彼女らはその主張を「ミソジニー」であると口汚く難じました。にも関わらず、今度は自分たちの価値観を正当化するため、今更になってそれを蒸し返し、都合のよい解釈を施し、主張の中にある精神性を無視し、恣意的に運用しようとしているのです。

 リベラル君たちは表現の自由を標榜しつつも、フェミニストたちと仲よくしたくて仕方がない。そこで苦肉の策として出された案が、オタクに向けては“まなざし村”とのレトリックで「自分たちに都合の悪いフェミニスト」を尻尾切りし、フェミニストに対しては「オタクは二次元にしか興味がないので、あなたたちに逆らいません」と進言する、というものだったのです。
 それはエラいセンセイがウナギを食べながら、牛丼しか食べられない庶民を見て、「これぞ脱成長」とご満悦な姿と、「完全に一致」しています。
 いくら何でも、言葉を失うほどに、容易には信じられないほどに、地獄の鬼すらも震え上がるほどに、身勝手で残忍極まりないやり方では、ないでしょうか。

*4 事実、数年前には『30歳の保健体育』に端を発する、オタク向けの男女交際の指南書がちょっとだけブームになりました。もっともこれら書籍はオタクの経済状況には目を向けず、ただひたすら「お前らオタクがモテないのはお前らがミソジニストだからだ」と説くばかりで、次第に飽きられてしまいましたが。
*5 昼はうなぎ、夜はフレンチを食べながら清貧を説く内田樹さん(http://togetter.com/li/819168
*6「ネット新時代は銀行不要」の現実味【2】-対談:津田大介×古市憲寿×田原総一朗(http://president.jp/articles/-/11364?page=4

付記

 いささか長くなってしまいましたが、ここしばらく気になっていたことをまとめさせていただきました。
 兵頭新児個人のブログでも、幾度かに分けてこのテーマを扱っておりますので、よろしければ参照なさって下さい。
・「女ぎらい――ニッポンのミソジニー(http://ch.nicovideo.jp/hyodoshinji/blomaga/ar956073)」。上野千鶴子キョージュのスタンス、そしてそれをリベラル君がいかにねじ曲げているかについて。ただし、本稿と被る部分も多めです。
・「敵の死体を兵器利用するなんて、ゾンビマスターみたいで格好いいね!(http://ch.nicovideo.jp/hyodoshinji/blomaga/ar919614)」。オタクの「女に興味ない発言」をリベラル君が恣意的に運用している様について。
・「「新春暴論2016――「性的少数者」としてのオタク」を読む(http://ch.nicovideo.jp/hyodoshinji/blomaga/ar950577)」。オタクを「セクシャルマイノリティ」に準えようとする人々への疑念。これは前回のASREAD記事にも書かせていただきましたので、よろしければそちらもご覧になって下さい。
・「まなざし村という言葉を使いたがる人たちをまなざしてみる(http://ch.nicovideo.jp/hyodoshinji/blomaga/ar961136)」。まなざし村という言葉についての分析。

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西部邁

兵頭新児

兵頭新児

投稿者プロフィール

アキバ系ライター。
主著に『ぼくたちの女災社会』
女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱。
ついついフェミニズム批判ばかりをしていますが、自分では「男性論」、「オタク論」がフィールドだと思っています。
ブロマガ「兵頭新児の女災対策的随想、兵頭新児の女災対策的随想(http://t.co/gpKQJTszv9)」もよろしく。
ご連絡はshin_2_h@ybb.ne.jpまで。

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コメント

    • rainmaker
    • 2016年 2月 20日

    表現規制反対派の人たちはよく「まなざし村民のような似非フェミのせいで本当のフェミニストが迷惑している」といったことを主張しますが、これが無理のある主張であることは明らかですよね。「男性の性的視線(=まなざし)が女性に抑圧を与えている」という言い分はフェミニズムの主張そのものなのですから。

    上野千鶴子を規制反対派として評価する人もいますが、あくまで二次元で完結してるオタクはオラオラ系みたいな男よりはマシ、と言ってる程度のことなんですよね。いえ、その程度の評価すらなかなかフェミニストから得られないのが現状なのですが。二次元ポルノの自由を認めてもらった程度のことで話がわかる人のように評価してしまうのはそれだけオタクの自己評価が低いということでもあるので、彼等のこともなかなか責めにくいのですが、そろそろフェミニズムと共闘できるなどという夢を見るのはやめた方がいいように思います。

    • 兵頭新児
    • 2016年 2月 22日

    ホントそうです。
    彼らリベラル君たちは「真のフェミニスト」はそうではないと強弁するのですが、彼らこそが、この世で誰よりもフェミニストを貶めている存在でしょう。

    まあもっとも、オタク界にいるフェミニストは彼らと口裏をあわせる傾向が強く、彼らの言は必然的に「オタクに媚びる、作家や学者などの社会的地位のあるフェミニスト」が「真のフェミニスト」であり、「ツイッターなどでそうした後ろ盾がないが故に自分たちに媚びないフェミニスト」が「似非フェミニスト」だというリクツになってしまい。これって本当に単なる弱い者いじめなんですよね。
    まあ、弱い者をいじめることがリベラル君の目的である、と仮定すれば辻褄のあう話ですが……。

    >二次元ポルノの自由を認めてもらった程度のことで話がわかる人のように評価してしまうのはそれだけオタクの自己評価が低いということでもあるので、彼等のこともなかなか責めにくいのですが、そろそろフェミニズムと共闘できるなどという夢を見るのはやめた方がいいように思います。

    そうですね。その辺の自己評価の低さを利用されていますね。
    ぼくが「リベラル君」と呼んでいるような人たちの中には「昔はオタクを見下していたが、今は運動のためにオタクの代表者ヅラをしている」といった人物もいます。
    その意味で、彼らは本当にフェミニストと同じ、事大主義者です。

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