改革ブームが不安定化させた社会
Report.8でも述べましたが、この改革ブームによって起こった時代のルール変化が人々にもたらした影響を顕著に表しているのが、1998年以降の自殺者数と生活保護世帯の数の高止まりです。
「人はなぜ自殺をするのか?」というのは人間の永遠のテーマであるので、ここで触れることは辞めておきますが、少なくとも現時点において生き続けることよりも死を選ぶ方が選択肢として優先しているのだと思います。
生はつまり、未来を歩んでいくことに他ならないのですが、「改革」によって変化のスピードが急速に上がっていく時代においては、これまでのように自らの過去の経験から未来を予測することがほぼほぼ無意味なことになっていきました。
過去、経験したことを用いて乗り越えることのできる未来が続いていくことが「安定」といえるのであれば、90年代以降の日本は間違いなく、「不安定」になっていきました。つまり、過去の経験の否定の上で、舶来もの(だいたい、ボストンとかニューヨークあたりのものですが)のシステムや思想を取り入れて、急速に未来を変えていったわけです。
その不安定な社会を生きることを「あきらめた」人々が、自殺や生活保護といった道へと妥協して言ったということも現実味のあることではないでしょうか。
不安定化した社会で始まった議会制民主主義の崩壊
そして、話は始めに戻るのですが、急速な変化が好まれる不安定化した社会にあっては、何よりも決断のスピードが必要とされるようになります。
その点において、議会制民主主義というのは、全く不向きな制度といえます。議会制民主主義は、国民の代表を議会に送り込み、物事に対して、少数派の意見も組み込みながら最終的に案をまとめていくわけです。
しかし、今日の急速かつ不安定な社会においては、そもそも「改革」のための議論に時間を割くことすら許されていないわけです。そうすると、国民は決断スピードの速い、一極集中した権力を好むようになります。
これが、2005年の小泉郵政解散選挙以降の、国会勢力の1極集中が進む原因ともいえるでしょう。
もう少し、90年代の歩み方に独自路線があれば、今日の状況は変わっていたのかもしれませんが、もはや後の祭り状態です。
※第21回「フラッシュバック 90s【Report.21】酒鬼薔薇聖斗事件と死者を冒涜するマスメディア」はコチラ
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