「集団的自衛権」より「集団安全保障」

秩序を皆で維持する仕組み

「集団安全保障は憲法上認められない」といくら言ったところで、現在の防衛体制は各国とのネットワークで動いています。
 ミサイルネットワークディフェンスと言いますが、各国のイージス艦(日本〔二〇二〇年までに〕八隻、アメリカ数十隻、韓国三隻、豪州四隻)と、韓国と台湾にあるレーダーサイトがネットワークを構成し、レーダーが「ミサイル発射」の情報を捉えたら、「どこにいる船で撃ち落とすのがもっとも効率的か」を瞬時に計算し、「お前の船が撃ち落とせ」と指令が下されます。
 このケースは、集団的自衛権では説明がつかない。理屈上は「情報だけはもらったが、指揮は国として執っている」と言えなくもないですが、それはあくまでも「あとからそう説明する」だけであって、現実にミサイルが飛んで来ればそんな話をしている暇はありません。
 また、これはミサイルが飛んでくるかどうかよりも、「ミサイルを撃ってもこういうシステムであなたの攻撃を無効化します」と示すことによって攻撃を抑止する。つまり、世界の平和や安定にがっているのです。
 このような軍事の現実の状況を考えても、日米間の集団的自衛権を強調するよりも「日米韓豪をはじめとする集団安全保障体制である」としたほうが、納得する人が多いのではないでしょうか。
「アメリカと一体化」という集団的自衛権の考え方については左派のみならず、保守側の人でも「対米自立、自主防衛が遠のくのではないか」との懸念を持つでしょう。「一国平和主義を脱しても二国平和主義にしかならない」といった印象です。
 しかし集団安全保障の考えであれば、たしかに圧倒的な戦力を持つアメリカが中心ではありますが、日本も「各国とともに積極的に国際貢献に参加する」ことで「米国との二国関係」に囚われず、「国際秩序の維持」に貢献できる。このような大きな観点を日本は持つ必要があります。
 ホルムズ海峡の機雷掃海なども「日本の石油を運搬するためのシーレーン」と言われますが、実際にあの地域を航行しているのは日本の船だけではなく、国際社会全体にとって大切な「グローバルコモンズ」です。
「日本の石油を守るために、武力行使だけれども例外的に機雷掃海が得意な日本が担当する」というものではなく、掃海のために必要な偵察や燃料給油、制空権の確保などについても各国が分担して取り組む。そのための事前訓練をすることで、世界の平和と秩序を維持するのが目的です。
 これは明らかに集団安全保障の範疇ですが、集団的自衛権をもって説明しようとするため齟齬が生じる。「ホルムズ海峡が封鎖されても日本がすぐに干上がるわけじゃない」などと言った的外れな指摘は放っておくとしても、あくまでも「グローバルコモンズを関係国が総出で守る」取り組みに参加し、活動をともに支えることが秩序の安定にがるのです。

人道支援には武力も必要

 このような考えは徐々に広まっており、昨年来の安保議論でも、安保懇が二〇一四年五月十五日に〈集団的自衛権及び集団安全保障措置への参加を認めるよう、憲法解釈を変更すべきであるなどの結論に至った〉と報告を出しました。
 二十年来、集団安全保障の重要性を考えてきた私は小躍りして喜びましたが、その日のうちに安倍総理は「集団安全保障を根拠に海外で武力行使することは絶対にない」とブレーキをかけてしまった。
 もちろん、安倍総理は政治家ですから、仮に「海外の武力行使もあり得る」と言ってしまえば、野党もマスコミもことさらにリスクを書き立てて反対したことでしょう。
 しかし自衛隊も軍隊である限り、国際社会の意図と合致するのであれば武力行使も行うべきではないか。それが軍隊の役割ではないか。そう考える私は、この言葉に正直に言ってガックリきました。
 しかし一方で、集団安全保障について理解が広まり始めているのは喜ばしい限りです。
 集団安全保障については、安保法制反対派であっても理解しやすいようです。米軍と一体化し、日本がどんどん戦場へ出て行くのではないかと懸念するような人たちでも、日本が国際平和の維持に関して全くノータッチでいいとは思っていない。そういった人たちにとっては、集団安全保障の考え方は受け入れやすいのです。
 昨年三月には朝日新聞が私のインタビュー記事を掲載し、昨年七月には日経新聞が社説で「集団安全保障の議論を早急に詰めよ」と書いています。ある新聞社の幹部も、「集団安全保障を進めるべきだ」と言っていたと聞いています。
 さらに私は、誰よりも軍事を分かってもらわなければならない、安全保障政策そのものを語りたがらないような平和活動家の人や左翼の人たちと話す機会を多く持つようにしています。
 そこで集団安全保障の必要性を説くためによく話すのは、国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子さんのエピソードです。彼女は難民支援事業のトップに立ち、食糧支援や生活支援などの人道支援に注力していましたが、うまくいかないことが多かった。なぜなら、支援対象地域の治安が確立していなかったからです。
 まず、クルドで支援を実施しようとしたところ、イラクからフセインに追われて来る人とトルコ側から来る人に挟まれている地域だったため、食糧支援をしようにも安全な地域がない。そこで彼女はどうしたか。周辺でもっとも力の強い米軍に「ともかく難民たちが落ち着ける場所を確保してくれ」と頼み、警護してもらってようやく支援ができたという。

「非武装に価値」の誤解

 ボスニアでも同様で、国連から難民支援を要請されたが、やはり治安が確保されておらず、不幸にも緒方さんの部下が命を落とすことになった。彼女は憤って「こんなことでは支援などできない」と国連本部で大演説を行い、「人道支援の前提として、各国が軍を派遣し、治安を確立するのが政治の仕事だ」と述べたのです。
 それによってイタリア軍がボスニアに赴き、軍隊に守られる形でやっと人道支援が実施できた。
 自衛隊も参加したルワンダ難民支援でもそうでした。現在のコンゴに数十万人の人が逃げて来たため、食糧がない。支援をしようにも、敗残兵が武器を持ってうろついており、相手が女性であろうが子供であろうが、物資を持っていれば力ずくで奪っていく。この時も緒方さんが「軍隊が力を発揮すべきだ」と言って敗残兵の武装解除を行い、やっと支援が可能になりました。
 緒方さんの人道支援はクローズアップされますが、常に軍隊の力によって治安が維持されていたという前提はほとんど注目されず、特に「緒方さんこそ理想だ」と述べる日本の人道支援団体やボランティアの人たちはこの事実を全く知らない。
 彼らは今回の安保法制の議論においても「武器を持っているからこそ狙われる」「私たちは非武装だからこそ価値がある」などと言っていますが、あまりに現場を知らないし、率直に言って勉強不足だと思います。
 もちろん、このような紛争地帯の治安維持を各国の軍隊が行う取り組みも「集団安全保障」の一環です。現在、日本は「武力行使ができない」という理由で後方支援に徹していますが、「支援するためにオランダ軍に守ってもらうが、私たちはオランダ軍を守ることはできません」という現状は、軍隊としての体をなしていないと言わざるをえません。

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西部邁

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