【書評】この出会いが世界を変えた。サントリー史上最強のふたり

いくつか気になったポイントを引用しておきましょう。

サントリーがまだ寿屋と呼ばれていた時代、佐治は失職中だった開高を拾い上げ、宣伝部のコピーライターとして、はたまた伝説のPR雑誌『洋酒天国』の編集長として活躍する場を与えた。作家志望だった開高に、二足のわらじをはくことを許したのも彼である。おかげで開高は在職中に芥川賞を受賞することができ、本格的な作家デビューにつながった。

「竹鶴はん、ほんまもんのウイスキーつくりたいんや」
願ってもない申し出である。信治郎は15歳下の、まだ29歳の青年に、寿屋の未来を託したのだ。

「絶対に上場しないとは一遍も申し上げていないんです」と前置きしたうえで、「公開、先に立たず」と言い放った。株式公開して、後悔しても知らないぞ、というニッカへの痛烈な皮肉である。

「ザ」という定冠詞をつけて高級感を出す開高のアイデアは、その後、サントリーのみならず、世の中に広まっていく。そして佐治も開高もこの世を去ったのちのことだが、まさにこの「ザ」を冠した商品が、敬三の悲願だったビール事業黒字化の決め手となるのである。

開高は集めた宝石のうち、特に高価なものは革袋に入れてアタッシュケースにしまっていた。鍵の番号は「007」。いかにも彼らしい。
彼の死後、この革袋の中身はきれいになくなっていた。すべて世話になった人たちに配りきってこの世を去っていったのである。

開高がよく色紙に書いていた言葉がある。

明日、世界が
滅びるとしても
今日、あなたは
リンゴの木を植える

もともとは宗教改革で知られるマルティン・ルターの言葉だと言われている。まるでこの言葉を実践するかのように、開高は人生の最後の最後まで生きることをあきらめなかった。

世の長寿企業の共通点は、創業から長い時間が経っても、社内に起業家精神が横溢していることである。サントリーがまさにそうであった。

あの時代はみんな気が違ってた。私も当時はゴルフもせんし、絵も描いてないから1日中仕事してた。1日1日が楽しかったねえ。朝から晩まで働いて、後は酒飲むだけだったから。みんなが「狂」の時代でした。何かに取り憑かれるように仕事していた。だが、誰かに怒られるから仕事しようというのでなく、さりとてやらねばならないと目を吊り上げたわけでもない。周りの「狂」の気分に同化してしまっていつの間にか働いていたんだ。

開高健が考えた「ザ」という表現が、創業者・鳥井信治郎も、息子・佐治敬三も成し得なかったビール事業の成功を導いた、というくだりは感動でした。

父と息子の愛、そして一流の男同士の友情を描いた、優れたノンフィクションだと思います。

ぜひ読んでみてください。

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西部邁

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