道徳主義者の増加は活力衰弱の証拠

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 15年ほど前、『弱者とはだれか』(PHP新書)という本を書いて、その中で「優先席はやめたほうがいい」という意味のことを書きました。自分で言うのも何ですが、これってけっこう受けて、今でも予備校などの受験対策問題によく出されます。微妙な問題を考えさせるのにちょうどよいと受け取られているのでしょうね。

 ところで私が時々使う横浜市営地下鉄は全席優先席を謳っていて、これは悪くないアイデアだと思うのですが、その代わり、席を譲ることを勧める車内表示や音声アナウンスがじつにうるさい。たとえ遠まわしとはいえ、善意の強制、道徳的啓蒙はやめてほしいと思います。だれも見ていないし聞いてもいません。そんなことをしつこくやらなくても、いまの大方の日本人は親切心や公衆道徳や他人を思いやるマナーを相当程度心得ています。

 先日この市営地下鉄に乗っていたら、車内マナー向上を訴えた児童画ポスターが5枚くらい掲示されているのが目に留まりました。絵の下部に大きな字でコピーが書かれています。コンクールの入選作かな。

 何気なく見ていると、その中の一枚に、おじいさんとおばあさんの大きな顔が描いてあって、「すわってあげてね」とあります。一瞬、「すわらせてあげてね」または「譲ってあげてね」の間違いだろうと思い、これを掲示した市の交通局あるいは学校関係者に指摘してやろうかと考えました。私は、この種の意味把握力が鈍いところがあり、よく人の言葉を聞き違えたり取り違えたりします。でもまさかこんな間違いのまま載せるわけないよなあ、などと思案すること十数秒、やっと、ああ、そういうことかと合点がいきました。

 皆さんにはご説明の必要もないと思いますが、念のため。これは、譲ってくれた人の親切を素直に受け入れてあげてねと、おじいさんやおばあさんに向かって呼びかけているのですね。席を譲られても、時々、プライドが高くて、自分はまだそんな年寄りじゃないという態度を示す人、「すぐ降りますからいいですよ」と言って遠慮する人などを見かけます。この児童画ポスターは、そういう人に対するメッセージだということになります。

 さてそう合点がいってみると、このポスターに表された過剰な配慮のあり方に何だか腹が立ってきました。児童画を描かせたのは小学校教師でしょうから、小学校ではそういう道徳指導をしていることになります。どこか上からのお達しがあったのか、特定の教師が自主的に指導したのか、それはわかりませんが、「そこまでやるか」という感じがしないでしょうか。
「他人への思いやりを大切に」――日本人はこれが得意中の得意ですが、席を譲ろうとしてくれた人の親切心を傷つけたり恥をかかせたりしてはいけないから、別に自分が座りたいと思っていなくても、その親切を素直に受け入れなくてはいけない――「譲り合いの精神」なるものがこういうところまで行くと、明らかに行き過ぎです。「すわってあげてね」と言われたほうにとっては大きなお世話でしょう。

 逆もありますね。昔、精神科医の大平健さんがやさしさの精神病理(岩波新書)という本を書いてよく売れました。この中に、最近の老人は元気な人が多いので、譲ったらかえって相手のプライドを傷つけるのではないかと考えて、譲らないほうを選んでしまう若者たちの例が出てきます。彼らにしてみれば、そのほうがかえって相手を思いやっているのだから、「やさしい」心のあらわれだということになるのですね。大した問題ではないかのように見えますが、若者にはその時々でけっこうな心理的プレッシャーを与えているようです。

 不必要に心理的な不安を強いるこういう社会の風潮は、大平さんの言うとおり、まさに「やさしさの精神病理」です。先の児童画ポスターの場合は、若者に対してではなく、老人(と見える人)にプレッシャーを与えているわけですが、譲られてもそれを受け入れる気がないなら、あっさりと手を振ってやり過ごせばいい話だし、譲ったほうも恥をかいたなどと過剰に思う必要はないでしょう。

 そういえば、社会学者の竹内洋さんが、最近は患者のことを「患者さま」と呼ぶようだがこれは大衆社会がもたらしたバカ丁寧の行き過ぎで気持ちが悪いという意味のことをどこかで書かれていましたが、私もその通りだと思います。

 よく公衆トイレに「きれいに使っていただいてありがとうございます。」と書かれているのを見かけますが、これもじつにおかしい。「トイレはきれいに使ってください」で十分ではないですか。汚く使う人が多いからこそその種の掲示を出すのに、「ありがとうございます」はないでしょう。

 また、生まれてきた赤ちゃんに親が「生まれてきてくれてありがとう」などと呼びかけるのが流行っているようですが、まだ言葉も話せない生き物になんで「ありがとう」などと感謝する必要があるのか。それが子どもに対する親の愛情の表現だなどと言えるでしょうか。ごく普通の親ごころからすれば、元気で五体満足に生まれてきたことを確認して夫婦で喜び合い、健やかに育つように祈るというのが自然なあり方でしょう。五体満足を喜ぶこと自体が障害児に対する抑圧・差別だといった歪んだイデオロギーのせいでこんなセリフが流行り出したのではないかと勘ぐりたくなります。

 一見関連のないように思えることをいくつか並べましたが、ここにはいまの日本に蔓延している「他人さま恐怖症」という共通の病気が感じられます。どこから降ってわいてくるのか定かでないこの種の不健全な空気の支配は、情緒のファシズムとも言えます。このファシズムはけっしてだれか特定の権力者が押し付けたわけではない。おそらく日本人の伝統的な「思いやり精神」が、戦後の大衆社会化現象と重なって悪い形で現れた集団心理のなせるわざだと思います。それだけに一層始末が悪い。権力者や責任者を倒すわけにいかないのですから。

 そうして「他人さま」は、具体的な誰かではなく、抽象的な他人であり、いわば幽霊としての大衆です。だれもがこの幽霊に怯えていなくてはならず、その怯えの解消のために、妙に形式的でバカ丁寧な特製道徳マスクをつけることにしている。政治がポピュリズム化せざるを得ない一因も、案外こんなところにあるのかもしれません。

 そうして私はこう思います。こうしたヘンテコな日本語を使った一連の過剰な道徳的配慮が出現するのは、社会の活力が衰弱している証拠なのだ、と。

 これも昔の話ですが、ぼくが医者をやめた理由(角川文庫)で有名になったエッセイストの永井明さんが、ウィーンに滞在した時のことを書いています。旅の疲れのために電車の中でついうとうとしていてふと気づいたら、周りの乗客が尋常でないきつい目線で自分のことをいっせいに睨んでいる。自分の前にひとりの老女が立っている。このアジア人はなぜ席を譲らないのか!

 永井さんは席を立って次の駅で慌てて降りたものの、そんな目つきで睨まれる筋合いはない。ウィーンはワインもうまかったしオペラも素敵だったけれど、町全体が老化している。元気者の足を引っ張ることしかできないこんな土地に二度と来てやるもんかと思った、と。

 この永井さんの感性に私は深く共感します。

西部邁

小浜逸郎

小浜逸郎

投稿者プロフィール

1947年横浜市生まれ。批評家、国士舘大学客員教授。思想、哲学など幅広く批評活動を展開。著書に『新訳・歎異抄』(PHP研究所)『日本の七大思想家』(幻冬舎)他。ジャズが好きです。

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コメント

    • eegge
    • 2015年 4月 25日

    「情緒のファシズム」とは面白い表現ですが、私は「知のファシズム」あるいは「知の情意に対する越権」と見ています。倫理とは「行為的直観」です。理屈(理性)で思量するものではありません。「行為的直観」とは「知即行」です。「知即行」の知は所謂知(理性)ではなく、それより高次の知です。従って所謂道徳教育は必要ありませんが、親が子に「親の背」を見せることや、幼児期に適切に「叱る」ことは必要です。いずれも知(理屈・説教)ではなく「情意に訴える」ということです。加えて、間接的ですが、情操教育も意味があります。

  1. 道徳は脳髄の衰弱にほかならない。地獄の季節で、そうランボーはいっています。私が思う倫理とは、たった
    二種類しかありません。それは、悪いことができるのに、あえてしない。もう一つは悪いことをした後に、そ
    の責任を取る行動。この二つだけです。それ以外は、ただの悩み、病です。時に、悪いことをする力の無い者
    が、自分の受動的な弱さの上にあぐらをかいて、倫理という能動的な価値があるかのように見せかけ、善を悪
    用します。これは大昔からの常套手段だっはずで、キリスト以前からの変わらない発想だと思います。弱さこ
    そ、情に訴える共感民主主義によって、力=組織を生む源泉に他なりません。予め逃げ道も用意されています
    「だってオレは弱いんだ!お前らもそうだろ?」柄谷行人は「マルコ伝について」の批評で、ペテロの弱さこ
    そ社会的な強さ、キリスト教教会を作れた秘訣だと書いていました。ちなみに私はどんな組織も最初は、互助
    的な弱さの確認から発するものと考えています。個人の強さ、弱さというのは、カンケイの相対性の前には何
    の意味もなしません。カンケイとはそのまま、社会のことです。その前にとゆうか同時に、独りの人間こそ、
    自己にカンケイする生き物だとキルケゴールはいっていますが。ところで最近は、コネがものを言う貴族的な
    時代になりましたね。(この道徳と衰弱のテーマで今、物語を書いています。タイトルは「みなし児ヴィデオ
    ・オレンジ」)

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