市場原理のメリットとは?~広告とイノベーションの関係~

物足りないハイエクの広告擁護論

ハイエクのガルブレイスに対する批判は妥当なものでしょう。しかし、市場を認識論的視角から擁護するというハイエクの立場からするなら、宣伝・広告の意義をもう一歩踏み込んだ視点から積極的に主張すべきであったかもしれません。汎批判的合理主義を提唱したバートリーは、ハイエクの市場理解には不十分な点があると指摘します。ハイエクは市場には既存の分散知を有効に利用できるという利点を強調しましたが、また同時に、生産物や理論のいまだ明確化されていない潜在的可能性を引き出す機能が存在します。中央政府や軍の計画によって開発された軍事技術の民間利用などはその典型的な例と言えるでしょう、インターネットは当初はアメリカが軍事用の情報技術として開発したものですが、現在ではビジネスや娯楽や情報収集など、様々な用途で使用され現代人にとって欠かせないツールとなっています。つまり、市場には既存の財や知を効率的に分配、活用する機能のほかに、生産者が想像もしなかったカタチでそれが応用されることで潜在的可能性を引き出す機能があるのですが、バートリーによれば、ハイエクはこの後者の機能を十分に認識していなかったようです。このバートリーの指摘は、ハイエクの広告・宣伝に関する認識においても当て嵌まります。

特定の生産物や理論が明確化されていない潜在的可能性を残しているのと同様に、消費者は、いまだ意識化されることのない潜在的欲求の可能性を備えています。市場による生産物の消費の吟味の過程は、この潜在的欲求を引き出す可能性がありますが、このような潜在的欲求を引き出すうえで、他者から積極的な財やサービスの提案は重要な役割を担います。つまり、荒野に一人では絶対に意識されなかった欲求が、市場や広告を通して明確化され、あるいは掘り起こされる、自分では欲しいとも思ってなかったような製品やサービスを広告が見た瞬間に「あー、そうそう、こういう商品が欲しかったんだよ!!」となったりするわけです。

高次な欲求に対応する企業の活動の在り方

先進国における高度に発達した市場社会においては、消費者の認識しやすい生物学的な欲求はほぼ満たされています。そのような状況で、企業はより高次な欲求に応える必要があるのですが、生物学的な欲求を超えた消費者の高次な欲求は生産者にとっても消費税にとっても理解しにくいものです。生産者は、そのような潜在的な消費者の欲求を発見しようとして、製品開発を行い、宣伝を行い、その製品に対する潜在的欲求を引き出そうと、あるいは掘り起こそうと努めます。ガルブレイスはこの一連の過程を生産者による消費者の欲求の操作であるとみなし、そのような恣意的に操作された欲求によって動かされる市場社会を批判したのですが、一方で、このような一連の過程は、消費者が持つべき欲求の生産者による提案であると捉えることが可能であり、そのような広告・宣伝により提示された新しい欲求の在り方は、消費者に新たな視点と自己発見の機会を提供し、先の市場による生産物や理論の潜在的可能性の掘り起こしとの相互作用により、より高度なイノベーションを引き起こし得ます。

市場の持つポジティブな側面を見落とす陥穽

私は、これまで、様々なカタチで市場原理主義的な改革に対して、反対の意見を表明してきましたが、今回の考察によって、市場の持つポジティブな側面について見落としていた部分が多かったことに気付きました。私自身、ハイエクが市場の持つ生産物や消費者の潜在的可能性を引き出す機能を見落としていたのと同様に、市場とは、既存の財を効率的に分配するシステムであると理解していたのですが、しかし、今回の考察によって、市場とは、必ずしも既存の財の効率的な分配のみならず、それらの財のいまだ発見されざる新たな潜在的可能性を引き出すというポジティブな機能が存在することを発見しました。さらに、おそらくは、このような市場の持つ機能は、広告や、組織的な計画的等によって、より有効に、そして、より効果的に機能するのではないかと思います。

市場原理と計画のベストミックスを

最後は、どうしても凡庸な結論になってしまうのですが、やはり我々が目指すべき社会は、このような市場や計画のポジティブな側面、ネガティブな側面、あるいはそれらが組み合わされることで生まれる相互作用や相乗効果などを十分に検討し吟味し理解した上で、外的な状況を十分に勘案しつつ設計すべきであり、もっとも我々の社会に貢献し、有効に機能するバランスの取れた社会制度を追求するべきでしょう。

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西部邁

高木克俊

高木克俊会社員

投稿者プロフィール

1987年生。神奈川県出身。家業である流通会社で会社員をしながら、ブログ「超個人的美学2~このブログは「超個人的美学と題するブログ」ではありません」を運営し、政治・経済について、積極的な発信を行っている。

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コメント

  1. 我々消費者はその「可能性」には参加しておらず、
    せいぜい「触媒」としての参加ぐらいだ。
    「こんなモノが欲しかった」なんて言うのはウソで、
    初めてそのとき思った錯覚だ。
    そう思はせる商品を作るのが専門家の仕事である。
    可能性として鳥瞰しているのは別の何かだ。
    ある一定の購買力、潜在欲、漁場として。
    「可能性ガールズ」という曲がある。プロの歌手ではない、
    所謂アーティストのファッションモデルが歌う曲。
    散乱した合わせ鏡のような自己顕示欲と欲望。誰が誰に仕向けているのか、
    なにが欲しいのか、金で裏打ちされぬマネーのような不確実感。
    他人の欲しいモノが欲しい、その欲望としての純度の高さ、貪欲モード。
    洋服を買って組合わせるなんてことに創造性なんてない。
    凡庸ゆえに選ばれた読者モデルが縮めたニックネームで、
    呼びかけ、現在形、略語等で親しげに「共感」に訴える!
    女子高生や代表のあゆ(古い?)に既に用意したモノを選ばせ、あゆがプロデュース。
    買い物とは選択であり、快楽原則であり、誰でも出来る受動的な能動性だ。
    それは「表現」なのだそうだ。
    仮に何かが出来るシロートはもうプロになりかかっている人だ。
    我々ただのコンシューマーに、自身の「可能性」なんて無い。
    なるほど、確かに市場には可能性があるのだろう。
    だがそれも昨今、ただの「延長」にしか見えないのだが。

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