放射能より怖い「情報汚染」
- 2015/2/18
- 生活, 社会
- feature4, WiLL
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放射能より怖いもの
チェルノブイリ事故ではデマや誤った情報が広がり、それが社会混乱を生んだ。そうした世論を沈静化するために、政府は過重な安全対策をとった。これは、福島事故のあとの日本と似ている。
旧ソ連下の情報統制で、チェルノブイリ事故の情報公開は隠蔽と遅れが繰り返された。発生がメディアで公表されたのは三日後だ。その後のテレビも新聞も、放射能の健康への心配はないと繰り返した。社会パニックを起こさないことを目的にし、真実を報じなかった。
ところが口コミで事故情報が広がってしまい、その情報には誤ったものも多かった。デマと恐怖で社会が混乱したのである。
チェルノブイリ近郊からの避難者と話したが、いきなり「逃げろ」とトラックに乗せられたという。避難先に物資はなく、買い物に行くと「チェルノブイリのヤツが来た」との囁きが広がって人々が逃げ出したそうだ。福島でもデマや誤情報による被災者への差別や攻撃が起こったが、チェルノブイリではより大きな規模で発生したらしい。
国民は政府当局の発表と活動に不信感を抱き、政府を信頼しなくなった。旧ソ連を語る場合に、それが一九九一年のソ連崩壊の一因になったという指摘が多い。
それでは、実際の健康被害はどうだったのだろうか。結論を言うと、筆者は日本語、英語の文献を調べたが、全貌ははっきりしない。ただし、世界に広がった恐怖イメージは誇張されているようだ。
事故後二十五年のロシア政府報告書によると、事故による急性被曝による死者は五十人である。また作業員の罹病は、ロシアの他地域の平均を上回っていない。
そして放射能という要因と比較した場合に、「精神的ストレス、慣れ親しんだ生活様式の破壊、経済活動の制限、事故に関連した物質的損失といったチェルノブイリ事故による社会的・経済的影響のほうが、遙かに大きな被害をもたらしている」と、報告書は総括した。
「情報汚染」は甚大
事故直後に汚染された食品が流通したために、放射性ヨウ素を体内に取り込み、その結果として数千人が甲状腺がんに罹って十人前後が亡くなった、と各種の報告書に書かれている。
ただしIAEAなどの八国際機関とロシア、ウクライナ、ベラルーシの三カ国の合同委員会は二〇〇五年に、「実態は完全には分からず監視が必要」としながら「地域住民の健康には明るい展望が持てる」と記した。
日本の福島原発事故で、百ミリシーベルト以下の低線量の被曝を受けた場合にどうなるかが関心を持たれている。各国の研究者は、低線量被曝を長期に受け続けてもチェルノブイリ近郊では健康被害はない、と揃って指摘している。
健康は多様な要因に左右され、放射線による影響だけを特定することは難しい。特に旧ソ連邦各国では、九〇年代の社会混乱を背景に住民の健康が悪化した。平均寿命の低下やストレスによる自殺増、罹病率の上昇が観察され、いまも回復の途上だ。
原発事故の被害は、このような社会不安に隠れてしまった面がある。ただしソ連の統計は不備があり、健康被害の実情はよく分からない点が多い。
日本では当時の新聞報道などを根拠に、五万五千人が死亡などという数字が流布されている。また西側諸国でも、チェルノブイリは人々が死に絶えた場所という悪いイメージが定着している。
情報汚染が社会に与えた傷は著しい。ウクライナでは実態は不明だが、事故直後に数千件の妊婦の中絶があったという。旧ソ連では中絶の規制は緩かったそうだ。被曝による胎児への悪影響を恐れたものだが、おそらくその必要はなかったであろう。痛ましい悲劇だ。
事故当時に四号機の電気技師で、いまはリクビダートル(「清算人」という意味)と呼ばれる事故処理関係者の団体の会長をしているアナトリー・コリアーギンという六十五歳の元電気技師に会った。彼はいまも病気に苦しんでいる。
「逃げるつもりはなかった。技術者として、ソ連国民として、責任を果たさなければならないと思った。後悔はない」
ソ連では、電力事業は重要視された。革命の指導者・レーニンは「共産主義とはソビエトと電化だ」と述べた(ソビエト=労働者の委員会)。真面目な人々が、ソ連でも原発にかかわっていた。それなのに事故は起きてしまった。
彼は、原子炉の設計ミスが事故の主因と指摘。そして事故後の情報混乱によるパニックに警鐘を鳴らした。
「事故現場から離れるほど、不必要な恐怖を持つ人が多かった。正確な情報を公開し、デマをなくすことが必要だ。事故を避けるために自由な議論が必要だったのに、ソ連の体制では行えなかった。福島原発事故の対応でも気をつけてほしい」
福島原発事故のあとを見ると、チェルノブイリの教訓がまったく活かされていない。福島の危険を伝える風評被害が広がり、メディアがそれを拡散してしまった。情報を日本政府は積極的に隠蔽しなかったが、正確な情報の発信は不十分だった。失敗を繰り返したのはとても残念なことだ。
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