育児代行先進国フィリピンからの「育児代行“不要”論」
- 2014/8/14
- 教育, 社会
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ナニーを必要とする社会は未成熟な社会である
それに、ナニーやメイドは「発展途上国」の「格差社会」を象徴しているのです。産業が発達していないため人口が多い割に経済の規模が小さく、仕方なくメイドやナニーとして働く女性が多いことは、フィリピン人として決して自慢できることではありません。本来なら国が自国の産業を育成して雇用を創出し、国民に所得を得るチャンスを与えなければなりません。このようなことからも日本は羨ましいと思っています。フィリピンもいつか、日本のように経済発展を遂げ、女性がメイドやナニーとして働かなくてもよく、父親の所得が十分で母親が育児に専念できる社会になってほしいわけです。
しかし日本には最近、奇妙な動きが出ています。要するに、安倍政権の「成長戦略」です。それには「女性の活躍推進」とのことで、外国人を含む他人による家事や育児の支援も必要だという発想が盛り込まれているのです。しかし、こんな発想は根本的なところでずれているのではないかと、以前の記事でも問いかけました。「家庭」や「育児」の在り方や社会的意義に関する考え方が、今までと違うものに変えられようとしています。それに対して危機感を覚える人は少なくないと思います。「安倍首相は、母親を子供から引き離すことに積極的な国がよい国だと思っているのだろうか」と、政治ジャーナリストの細川珠生氏が問いたくなるのも分かります。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20140724/plt1407240830001-n1.htm
日本社会を「女性が輝く」社会にするという目的は否定しませんが、「輝く」こととは何か、また、単なる「ビジネス」のために日本の文化や価値観を根本的なところで変えてしまうような政策については国民が大いに議論するべきであり、一部の政治家や有識者が決めていいようなものではないことは言うまでもないでしょう。そしてそういう議論を進めるに当たってフィリピンなどの事例も参考にされた方が良いかと思います。
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