※この記事は月刊WiLL 2015年9月号に掲載されています。他の記事も読むにはコチラ
分かりづらい安保議論
今般の安保法制の議論は、大方の一般国民には非常に分かりにくいものになっており、私たち自衛隊のOBでさえ、にわかには理解し難い議論が展開されています。
さらには、マスコミが反対ありきの、ためにする報道を大々的に行っている。「戦争に行くための法案だ」などというのはその最たるものでしょう。ホッブズがいう「自然状態」のように、法律を決めずに無法状態にしておいてこそ戦争は起こるのであって、そうならないために法律を決めている、というのが近代国家の基本です。
野党も輪をかけて「徴兵制復活だ」などと国民への扇動を行っていますが、徴兵制が行われることなどあり得ません。たしかに、昔の戦争は「戦争が始まりそうだ」となってから動員が行われ、戦争に駆けつけるという形でした。しかし現在は常備軍が主流で、「常態的に存在しつつ訓練をする」ことで戦争を抑止するのがメインになり、それには部隊交代や訓練の錬度維持から考えても志願制のほうが遙かに適しています。だから先進各国は、徴兵制から志願制にシフトしているのです。
このような前提知識を踏まえないまま、安保法制への反対ありきで国民を混乱させる手法では、野党は国民の理解を得ることはできないでしょう。野党は与党批判が仕事だと思っているのかもしれませんが、的外れな扇動で政治の足を引っ張るようでは実に情けない。
ただし、安保法制の分かりづらさについては、政府にも責任があります。政府や安倍総理は「集団的自衛権」についての説明には時間を費やしていますが、実際には今回の法案には「グレーゾーン事態」や、むしろ「集団安全保障」の問題であるような事柄が、すべて「集団的自衛権」と一括りにされて語られている。
これがただでさえ分かりづらい軍事の問題をより複雑にし、私たちですら理解に苦しむような議論にしてしまっているのです。
これまでの六十年間、自衛隊としては政治の不作為に不満を持ってきました。それを一歩でも踏み出したということに対しては、安倍総理を高く評価したい。
しかし一方で、「これですべて片付いた」とされては困る。今回の議論を第一歩にして、さらに自衛隊の問題、安全保障環境の議論を深めて行ってもらいたいと思います。
二つの重要事項
特に私が今回の議論からクローズアップしておきたいのは、一つはグレーゾーン対応の問題です。
たとえば、公海上で並行して航行するアメリカの艦船が攻撃された場合、日本が「集団的自衛権」を行使して助けるという話を政府は折に触れてしていますが、現状では、米艦どころか日本の僚艦が攻撃された時でさえ。防衛出動命令が出なければ反撃できない状態です。
つまり個別的自衛権が認められていても、「防衛出動命令」が出なければできないことを集団的自衛権で解決しようというのは無理があります。
明らかに国際情勢の雲行きが怪しくなってきて、総理が事前に防衛出動待機命令を出し、何か起こればすぐに対処するというのが理想ですが、事態はそうそううまくは行きません。何の前段もなく、突然、奇襲を受けた場合にどうするのか。この状態が「グレーゾーン」です。
これは一九七八年、当時、統合幕僚会議議長だった故栗栖弘臣氏が「自衛隊法では奇襲攻撃に手が出せない。超法規的な行動をとらざるをえない」と発言して事実上解任された重大な問題ですが、これまで放置されてきました。
ようやく「切れ目のない対処ができるように」といって「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保懇)がグレーゾーン対応について指摘し、注目されるようになりましたが、これは集団的自衛権とはまた別の問題です。
もう一つは、集団安全保障の問題です。
集団安全保障とは、ある一定の複数の国が集団となって国際秩序の維持のために活動する考え方のことです。グループを形成し、秩序を乱す者があればみんなで立ち上がって制裁を加えるというものです。
これまで、日本では集団安全保障の問題はほとんど語られてきませんでした。これまでにも何度か国会で質問は出ていますが、一般的には「集団的自衛権ですらダメなものを、集団安全保障などできるわけがない」という論理で一蹴されてきたのです。
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